Markey's Osaka West "Oba-han"River-side Blues......

       ── ひらりひらひら きままな稼業 風に吹かれて 東へ西へ

2010年1月31日日曜日

なつ菓子

99円ショップにこんなのが売っていた。
こりゃどっちもCMsongまで覚えているわ。「サクマのチャオ」は透明っぽい飴の中にチョコレートが入ったもの、「ライオネスコーヒーキャンディ」は今となってはコーヒー牛乳ぽい味ですねえ。
こちらはライオン製菓という、東京は文京区小石川にあるメーカーらしい。

小学生の頃、こういうキャンディって結構夢のあるお菓子だった。
幼稚園ぐらいまでの頃は、家によく「那智黒」があったような気がするが…
それはあんまり子供心に美味しいとは思わなかった。
なんか、ジイサンが酒呑みながら舐めてたような記憶があるのだが…
魚釣りが好きだったジイサンが、和歌山へ釣行するたんびに買ってきてたのかもしれんな。
小学校ぐらいになると、「純露」や「いちごみるく」などといった魅力的なキャンディが出回りだした。
味も斬新、キラキラと包み紙やパッケージの意匠もキレイで、こりゃ那智黒のローカル臭プンプンとは随分違って洗練されていた。

友だちと遊んだときに新しいキャンディをワクワクしながら交換したりして、家に帰ったら食べようとスカートのポケットに押し込んだまま、小学生は次々と目の前のことに頭の中を占領され、ポケットの中のキャンディのことを忘れてしまう。

しばらく経った夏の日はポケットの中で包み紙ごとベッタベタになってしまい、泣きを見た日々。

2010年1月30日土曜日

ビルボード大阪

3月に行くことにした。旧ブルーノート、現ビルボード大阪。
ライブハウスなんて長いこと行っていない。
あ、去年3月有山淳二を聴きに深井のバーに行ったっけ。
いちばんのお目当てはMorris Pleasureかな~やっぱし。
Darryl Phinnesseeもベテラン、いいね!

ビルボード大阪なんて今回のライブを口実にでもしないと、行く機会もないやろし。
こんな場所で、誰かと二人でゆっくりお酒と食事しながらライブを目の前で観る…
なんてこと、もう生涯ではないでしょう。ないよな。と確信している。情けないのう。

なので、ほんのちょいとだけドレスアップして独りで行くべ。たのしみ。
だからカジュアル席でよいのだ。
やっぱり、キラキラ光るものを身にまとうのが、こういう場所には似合うね。
何着ていこっかな~♪ アクセサリはどれにしよ!

2010年1月24日日曜日

おまいり

また遠くから父のイトコ2人がお参りの方が来られた今日。
まだまだ週末は、こういう日があるので気が抜けません。
いろいろ系図を書いてもらって失礼ながらお二人の顔写真も撮らせてもらったり、
親戚に対して取材のようなことをしている自分… なんだかなあ、とは思いますが、こういう機会にでもいろいろ訊いておかないと、との焦りみたいなものも感じます。

もう、たったひとりなのだ、という思いが強いのかも。
その思いをなんとか打ち消すためや、自分が存在している遠因や流れを知ろうとしているのかも。

父は、わたしにどうせよと言っているのだろう。
裕次郎みたいなポーズをとっている遺影に聞いてみても、ワカラン。

まあ、怒っているか呆れているかのどちらかだと思う。
「お前はホンマにエエ加減や」が口癖でしたから。

その通り。
電器屋を閉めてから書き始めた日記は、没後みてみたら毎日毎日朝から寝るまで事実の羅列で、細か~い字で1日半ページ以上書いている。
「6時35分起床、40分洗顔、7時前からパンとコーヒー食す」ってな感じ。これが就寝まで延々と続く。
おまけに大事な文節には御丁寧に赤線まで引いてある。(しかも単語単位)…勉強のノートかい!

は~、やることがつくづく理系やな。
流石にこのノートが数十冊ある様子をみては、読破する勇気がない。

てか、パラパラめくって飛ばし読みしかする気が出ない。
上記の系譜などにも関する有益な情報が書かれているとは思うが、いかんせん手書きでは一発検索というわけにはいかない。

インデックス作ってくれといたらよかったのに。

2010年1月14日木曜日

おとむらい

新年早々身内の訃報をきき、故人の自宅のある奈良の田原本まで行った。以前から悪いときいていたので、ここのところ親族たちはバタバタしており、私もしかりだった。時折はいる状況の知らせに落ち着かず、ここのところ、行ける時には病院まで足を運んでいた。

父と仲の良かった、父の母方の従姉妹であった。ごくたまにしか逢わなかったが、私にも小さい頃からよくしてくれた。
父の母、つまり私の祖母は女きょうだいが多く、それぞれが子を連れてよく行き来していたようで、子供たち、つまりいとこ同士は非常に親しかったのである。
夏休みなどにはお互いの子らが半月以上もお互いの家に滞在し、大勢で楽しく遊んだ時間を共有していたようなのだ。

王寺から近鉄田原本線に乗り換えて南へ。流石に大阪よりしんと冷える。
窓の外は暗く、ほとんど何もみえない。時折り古い街灯の灯りがぽつりぽつりと短い水平線をえがく。
たまに弱々しい踏み切りの音が右から左へ流れる、こういう場所をはしる夜の空いた電車が私は嫌いではない。
子供の頃から何度も何度もこんな電車に乗っていたような気がする。
そのたびに理由は分からないけれど、ひどく寂しい気分になったことも覚えている。

2010年1月1日金曜日

2010年になったし

怒涛の展開と、前へ進むことはなんもできんかった2009年があっという間に終わりを迎えました。
はてさてどうなるワシのこれから。すべては神のみぞ知る。

気分一新、いくらなんでもそろそろ始動せねば。年が代わるのはよい機会でしょう。

後ろを向いていても仕方がないね。
もう、残された時間はあまり多くないような気がするし(笑)

今までなにも軌跡を残せなかった分、
これからなりふりかまわずやるしかないんやけど、これがなかなか難しい。
いやいや、先入観や既成概念や縛りやひとの目を気にすることなんかを、
今年からはかなぐり捨てないとね。
めざすは精神の解放かあ。
デカすぎるテーマやな。


急に寒くなり、ただいま仕事部屋の気温は12度。ん?結構ぬくいやん。
まだ暖房なしでいけるぞ。

皆様、今年も宜しくお願いいたします。