父と仲の良かった、父の母方の従姉妹であった。ごくたまにしか逢わなかったが、私にも小さい頃からよくしてくれた。
父の母、つまり私の祖母は女きょうだいが多く、それぞれが子を連れてよく行き来していたようで、子供たち、つまりいとこ同士は非常に親しかったのである。
夏休みなどにはお互いの子らが半月以上もお互いの家に滞在し、大勢で楽しく遊んだ時間を共有していたようなのだ。
王寺から近鉄田原本線に乗り換えて南へ。流石に大阪よりしんと冷える。
窓の外は暗く、ほとんど何もみえない。時折り古い街灯の灯りがぽつりぽつりと短い水平線をえがく。たまに弱々しい踏み切りの音が右から左へ流れる、こういう場所をはしる夜の空いた電車が私は嫌いではない。
子供の頃から何度も何度もこんな電車に乗っていたような気がする。
そのたびに理由は分からないけれど、ひどく寂しい気分になったことも覚えている。
父の従姉妹は旧家に嫁いでおり、旅館のような立派な庭を持つ大きな家の門に、たくさんの弔い提灯が何段にも吊るされ、ぼうっとした光を闇に放っている。
遠くからでもこの家で今夜お弔いがあるのだとすぐにわかる。
ここらでは今でも、自宅で弔うことが多いのかも知れない。庭先に受付の人は数人いるが、誰が入ってきたってほとんどノーチェックである。全くの部外者が複数紛れ込んだとしても、絶対に誰にもわからない。
広いたたきには大勢の靴が所狭しとならんでおり、広間にはたくさんの人々が白熱灯の灯りに頬を照らされ、いくつもの輪を作って賑やかに話している。
人は入れ替わり立ち代わるが、常時5、60人はいただろうか。もっといたかもしれない。
今ではあまり見なくなった立派過ぎるような果物籠のお供えが、祭壇の前にいくつも並ぶ。
流石に、今は果物の缶詰は籠の中には入っていなかった。妙に感心する。
ある意味父の代役として来た私は、故人があちらへ行って、父が先に来ているのを知ってびっくりさせてごめんね、とお棺の中の故人に告げた。
故人の息子や娘たちは、私の父がなくなったのは病床の故人にとってショックが大きすぎると考え、ひと言も伝えていなかったのである。
2年前に脳梗塞を患ってリハビリ中の他の父の従兄弟仲間にも出会い、父のことでほろほろと泣かれた。この小父さんは父より10歳ほど下でまだまだ若い。昔から、細面の男前で上品な面立ちである。10年以上前に奥さんをなくし、社会人の息子二人と暮らしている。写真が好きで、花もやるまめな人だ。父とまりりんが連れ立ってエアコンを付けに5年ほど前訪問した時、大輪の寒椿が咲く玄関前でまりりんの綺麗な写真を撮ってくれて、帰りには大判にプリントしたものを持たせてくれた。
父は彼の病状をとても心配していたが、息子さん方がいうにはここ半年ほどで随分回復し、はっきりと言葉も話せるようになったそうだ。私が思ったよりかなりしっかりしていた。よかった。
情けない、と涙をこぼすが、「ワシも、もっかい嫁はんもろて頑張らないかんな」と軽口をたたいて笑う。
「おっちゃんぐらいシュッとした男前やったら、何ぼでも嫁はんの来ておるで」と返す。
傍らでどちらも独り身の息子達が笑う。いろいろ、大変な日常に違いない。
母親同士が姉妹だからか、小父さんは父の姉に顔立ちがよく似ている。すこし背が高く、しっかりした骨格だが、体の線が細いところもだ。
小父さんは本当に体に気をつけろ、と何度も私にいう。仲のよかった従兄弟、従姉妹たちがひとり減りふたり減りしていくのが本当に辛いという。
近すぎて喧嘩やいがみ合いもある自分のきょうだいより、時々会って自分の知らない世界を教えてくれたり、大人っぽい刺激をくれるいとこたちの方が楽しい思い出としてずっと胸に残っているのかもしれない。
父のいとこ仲間の子供たち、私を含めていわゆる“はとこ”の関係にあるもの同士の世代になってきているのだが、こうなるともう誰が誰かよくわからない。
実際昨日も現場には、今まで会ったこともないはとこがいっぱいいた。まあ、当然である。
親族ではあるけれど、彼らとどう付き合っていくべきなのか。果たして付き合う必要はあるのか?はとこぐらいになると、親族とはいえ血のつながりも薄れてくる。
もう私には二親もいない今、残された世代同士ではわからないことだらけである。
父は親戚づきあいなどには義理堅く、ときに“やりすぎ”の感もあったようなしきたりに五月蠅い人間だったので、意を継ごうとすると頻度は少なくとも、何かの折にきちんと挨拶をしておけ、と言うだろうけど…。
今かろうじて残っている“いろいろ知っている人”に、聞けるうちに聞いておかないといけないのだろう。
私はそのずぼらをして、何も聞かないうちに父の姉も父も天国に行かせてしまった。
寥々と、寂しいなあ。何よりも、縁(よすが)を失うのが人間やはりいちばん辛いことなのかもしれない。ひとりっ子はやはりこうなると、しんどいね。
喪家からの帰り、平坦な畑の暗闇の中をひとすじ走る田原本線は、まるで“千と千尋”に出てくるあの電車のように見えた。
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