Markey's Osaka West "Oba-han"River-side Blues......

       ── ひらりひらひら きままな稼業 風に吹かれて 東へ西へ

2011年2月27日日曜日

30年間だけの贈り物

昔とても好きだった歌が、youtubeで
みつかった。

ある年齢以上の人は誰もが感じているだろうけど、大昔の記憶におぼろげながら残っている曲にまたきちんと出会うことができる驚き、喜びを。

でもこの体験は、子供の頃、すごく大きい、広いと感じていた学校の校庭に、大人になってから行ってみるような感覚かもしれない。 自分の記憶違いや、えっ、実物はこんなんだったの?という感じが明らかになるような。

これって、いいのかな、どうなのかな。
記憶の中でところどころ欠けたまんまで、そのままの方がいいってこともあるよね。

ふと思ったのだけど、この感覚って、今の若い子にはもう手に入らない感覚なんだ。
物心ついた時からネットがあれば、私たちが味わった「過去の記憶の宝物」に会えない期間はない。
断線期間がないのだ。彼らの想い出は、スペクトラム的につながっていく。
いや、「想い出」という言葉さえ、もしかしたら不要になるかもしれない。

動画を記録・保存できるようになった時期を考慮すると、この「再会」体験を享受できた世代は、
そんなに幅広くないのだ。
日本のではせいぜい1950年代ぐらいからの動画が多く残っているとすると…

その頃に10代、20代だった人は今、 70歳から80歳ぐらいまでか。これが上限。
でも、あまり上の年代は、ネット人口は少ないわなあ。やっぱり今の団塊ぐらいが上限になるかな。

下は、80年代生まれ、90年ギリギリぐらいかな…?90年代に生まれた世代は、物心ついたらもうネットが普及していただろう。90年代生まれからの世代は、想い出との劇的な再会がない世代だ。

となると… でも、
懐かしいと感じる想い出との時間的隔たりを考慮すると、
今の30代、おおよそ70年代生まれから60代前半ぐらいまで、だと50年代生まれかな。




1950年代、60年代、70年代。

うーん、80年代生まれは子供の頃からティーンエイジャーぐらいまでの想い出とは再会できるかもしれないけど、若かりしオトナの日々の想い出に再会できるのは、やっぱり70年代生まれまでだな。

このたった30年間に生まれた世代だけが、想い出との感動的な、そして落胆の再会ができる
特権的な世代なのだ。
そう考えると、ものすごく貴重な気がしない?

MOONRIDERS // DOG SONG ( NOUVELLES VAGUES )

2011年2月24日木曜日

そちらでよろしく

前に言うてた、近所の市場ん中のお店のオバちゃんがこないだちょっとあわててそっちに行ったから、
お父ちゃんも叔母ちゃんも、お母ちゃんも、よろしくね。
わたし、こないだからそこの息子さんにいろんなもの頂いて、
お世話になってるねん。

たぶん共通の知り合いはイヤっちゅうほどおるやろし…。

町内会の誰がキライとか、あそこのオッサンは偏骨やとか、
昔あのウチはあんなことあったのになあ…ほんまヤラシィで…
とか、そういう下町ネタで大いに盛り上がってください。
こっちには聞こえへんから、言いたいこと言えるよ。

あー、商売やってる店にお嫁に来て苦労した愚痴話は、
お母ちゃんしか話が合えへんね。

みんな、結構さっさとそっちに行った人ばっかりやな…
もう、苦労したから早く免罪符をもろたかな。

それともそんなにこっちがイヤやったんやろか…(笑)
まー、ここらへん、ガラは悪いけどねえ。

2011年2月21日月曜日

冬のサステイン


先週の、雪の日。
まりりんとトボトボ歩いてなんばまで。
バレンタインのチョコ作りの材料を買いに、新しいマンションが建ち並ぶあたりのスーパーへ。
ここは結構いろんな製菓材料や、輸入食材が置いてある。生鮮は少ないが、私のお気に入りの場所だ。

私が住む区は昔から、ホント、食に関してはダメダメなのである。
母親はいつも商売の手伝いで忙しかったが、時々その揺り返しか、
取り憑かれたように変わった料理を作ろうとした。

参考にする本が昔のハードカバーの料理本だから、家庭向けというよりほとんどプロ向け。
身の程知らずの無謀である。
しかもチャイニーズや洋風だから、当時本に書いてある材料が簡単に手に入るはずもない。

“豚の網脂”とか“白木耳”とか“オニオンペコロス”なんて、あの頃どこに売ってんのー!

ましてやウチの区は陸の孤島と呼ばれてきた地域。垢抜けたものなどひとつもなく、
私と母はいろんなところへ食材を捜しに行った。
食材だけではなく、調理器具もだ。中華蒸篭、親子鍋、はては棒温度計。ちょっと行き過ぎである。
母は元々化け学系の理系だったので、そういう目線で料理に取り組もうとしたのかもしれない。
ほっといたらシリンダとかピペットとか、台所に持ち出してたかも知れん。

輸入食材は、ミナミの千成屋にそこそこのモノはあった。
道具屋筋、梅田のデパート、黒門、鶴橋、神戸、錦市場。
買い物だけですごい労力だ。母にはなぜか燃え滾る執念があり、私はその災禍をもろに被った。
今じゃネットで何でも簡単に手に入るけど。

大体、なんでこんな料理作る意味があるん?
住んでる場所に全然似合ってへんし…とは当時からおぼろげに思っていたんやけど…

おかーちゃん、そんなもん作りたかったんやったら、嫁に来るとこ激しく間違うてるで。
…と、随分後になってわかった。

今も私の住む区の食糧事情は、大して変わっていないことに驚く。
外食もちょっと行くロクな店がないのだ。なんでかねえ。変わらんねえ。
近所のオッサンが行く婆さんのやってるスナックとか、ヤンキーの系譜を汲むご家族御用達のファミリー居酒屋風とか、お好み焼き屋のような一杯飲み屋とか、まあ、そんなんばっかしなんである。

まあそれはそれで地域の味もあるのだが…

だからあんまり外食とか、近所で飲む気がしないのである。
そんなに美味しくもないものに払う外食の対価って、高いよねえ。
自分で作れば大体1/4ぐらいで、材料もふんだんに使って美味しいものができる。

こんな楽しみも、子供の頃の食材探しウロつき回りのお陰かな、とは思う。

だから、家で好きなもんチョコチョコと作って飲む方がいいねえ。

おかげでまりりんは酒の肴でご飯が食べられる子に成長した。

2011年2月4日金曜日

河内カルメン

こないだ大森監督のDVDを片っ端から借りにツタヤめぐりをしてた時、なんばで見つけたんやけど。

借りたかったけど、そんな一杯いっぺんに見られへんので見送った。

しかしこのときの土日はしんどかったわ。DVD拷問やった…

しかしイヌの色が日に日に濃くなっていくんやけど。