
店主のおばちゃんは私の顔をまじまじ見ながら一瞬考え、そしてカーネーションをつけてくれたのだが… 前にレジをした子ども2人とお父さんのお客には、子どもに「家へ帰ったらお母さんに渡してね」と、カーネーションを1本ずつ渡していた。
私のお母ちゃんは34年前、私が高校に入ってちょうど1週間目の桜の散る頃に急逝した。ひと晩で。
44歳だった。
あまりにも若い、今から考えると。
どうしても、もうひとつ上の公立高校に私を入れたかったらしく、中学後半は鬼のように喧嘩をした。
私は入れないだろうと思っていたし、何より高校に入って勉強ばっかりで大変な思いをするのがイヤだというのが最大の理由だった。
いろんな友人や年上の人の影響でロックやピアフやソウルやらと音楽聴いたり、ギターやピアノを弾いたり、絵を描いたり、楽しいことを中学時代に覚えてしまっていたからである。
今はスリッパで私をドツキまくっていたお母ちゃんの気持ちがわかる。
自分が薬大(一浪)を出て結局は電器屋の嫁はんになって苦労したので、私には医療系、できれば女医になどと言う不遜な考えも持っていたようだ。そらムリやでお母ちゃん。
![]() |
新制高校開始時である |
独り暮らしで今も元気元気、足腰弱ったら入るところの準備も十分だ。
![]() |
ワタイより全然似てるよなあ |
最後まで人生をしゃぶりつくすのは、
やはり一部の女である。
でも、T女史はすべて自分の力で成し遂げてきたことなので、本当に偉いと思う。
当時は医者の世界でも、女医に対する風当たりは生半可なものではなかった筈だ。
お母ちゃんは常々、
「アンタはブサイクやから勉強して仕事ができるようになり」と言っていた。
顔から想像できるように、ものの言い方のヒドイ母親だ。
そういう生き方もバリバリにはまっとう出来ず、かといって違う方向のキャラにもなれず、
私は人生ウロウロしている間にどっちも中途半端になった。
ごめんなぁ。そやけど、お母ちゃんの言い方が大概悪かったんちゃうか?(笑)
とか言うたら、またスリッパ持って怒るわなあ。