Markey's Osaka West "Oba-han"River-side Blues......

       ── ひらりひらひら きままな稼業 風に吹かれて 東へ西へ

2011年2月21日月曜日

冬のサステイン


先週の、雪の日。
まりりんとトボトボ歩いてなんばまで。
バレンタインのチョコ作りの材料を買いに、新しいマンションが建ち並ぶあたりのスーパーへ。
ここは結構いろんな製菓材料や、輸入食材が置いてある。生鮮は少ないが、私のお気に入りの場所だ。

私が住む区は昔から、ホント、食に関してはダメダメなのである。
母親はいつも商売の手伝いで忙しかったが、時々その揺り返しか、
取り憑かれたように変わった料理を作ろうとした。

参考にする本が昔のハードカバーの料理本だから、家庭向けというよりほとんどプロ向け。
身の程知らずの無謀である。
しかもチャイニーズや洋風だから、当時本に書いてある材料が簡単に手に入るはずもない。

“豚の網脂”とか“白木耳”とか“オニオンペコロス”なんて、あの頃どこに売ってんのー!

ましてやウチの区は陸の孤島と呼ばれてきた地域。垢抜けたものなどひとつもなく、
私と母はいろんなところへ食材を捜しに行った。
食材だけではなく、調理器具もだ。中華蒸篭、親子鍋、はては棒温度計。ちょっと行き過ぎである。
母は元々化け学系の理系だったので、そういう目線で料理に取り組もうとしたのかもしれない。
ほっといたらシリンダとかピペットとか、台所に持ち出してたかも知れん。

輸入食材は、ミナミの千成屋にそこそこのモノはあった。
道具屋筋、梅田のデパート、黒門、鶴橋、神戸、錦市場。
買い物だけですごい労力だ。母にはなぜか燃え滾る執念があり、私はその災禍をもろに被った。
今じゃネットで何でも簡単に手に入るけど。

大体、なんでこんな料理作る意味があるん?
住んでる場所に全然似合ってへんし…とは当時からおぼろげに思っていたんやけど…

おかーちゃん、そんなもん作りたかったんやったら、嫁に来るとこ激しく間違うてるで。
…と、随分後になってわかった。

今も私の住む区の食糧事情は、大して変わっていないことに驚く。
外食もちょっと行くロクな店がないのだ。なんでかねえ。変わらんねえ。
近所のオッサンが行く婆さんのやってるスナックとか、ヤンキーの系譜を汲むご家族御用達のファミリー居酒屋風とか、お好み焼き屋のような一杯飲み屋とか、まあ、そんなんばっかしなんである。

まあそれはそれで地域の味もあるのだが…

だからあんまり外食とか、近所で飲む気がしないのである。
そんなに美味しくもないものに払う外食の対価って、高いよねえ。
自分で作れば大体1/4ぐらいで、材料もふんだんに使って美味しいものができる。

こんな楽しみも、子供の頃の食材探しウロつき回りのお陰かな、とは思う。

だから、家で好きなもんチョコチョコと作って飲む方がいいねえ。

おかげでまりりんは酒の肴でご飯が食べられる子に成長した。

2 件のコメント:

  1. 後10年、15年たったときに、まりりんさんが、
    その“おかげ”を評価してくれるかどうかですね。
    親が食べないものはどうしても食べることが少ないし、
    親が好むものは機会が増える。
    道理です。

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  2. そうですねえ。結構偏ってますね、食べるもの。
    まんべんなくしようとしてもそれは無理ですね。

    しかし食は本当に大事。
    周囲を見渡すと、中年男性の食生活のメチャクチャさが目に付きます。
    健康食や自然食にしろっていうんじゃなくって、いくらなんでもその食べ方はアカンでしょ、
    それやってりゃ病気になるのは当然よ、というレベル。

    かなり問題だと思います。

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