泉北での撮影現場が意外に早く終わり、次の本町での会議までは2時間近くある。
が、一旦帰ると出るのがしんどくなるのは見えている。なので南海電車は新今宮で降りずなんばまで出て、こういう時の場所へ行く。
あまりにもしんどくて外で少し時間が出来た時は、家電量販店へ行ってマッサージチェア売り場に座るのである。経験のある方もいるでしょう。
しかし昼間っからそんなトコで目をつぶって快楽に浸ってるのは、サボってる営業マンか60がらみのオバハンか、何やって食べてるんかワカラン、セカンドバッグに電話一本で仕事しているような人たちだ。えてしてロクなのはいないのである。
で、ワシもその仲間だ。(タイトルクリックで続く)
Markey's Osaka West "Oba-han"River-side Blues......
─────── ひらりひらひら きままな稼業 風に吹かれて 東へ西へ
2010年4月28日水曜日
2010年4月24日土曜日
しばし休憩
とにかくしょっちゅう休憩ばっかりしているような気がするが…
外へ出て次の予定まで妙に時間が空いたとき、一人で入る店といえばドトールかマクドナルドぐらいしかない。
あとスターバックスぐらいだが、天神橋筋商店街や私鉄沿線の辺鄙な駅にスタバはない。
昔はカリカリとこんな場所でよく仕事をしながら、金曜の夕方は現れる人を待って連れ添って飲みにいったりしたのだが。
その時間は楽しいものだ。喧騒の中で書き物をしていて、ふっと目を上げれば約束の人が手を上げながらこちらに近づいてくる。
しかし最近は待っていても誰も来んな。
焼きが回ったな。
で、仕方なく、懐かしい回想をしながらの休憩タイムは終わり、
結局仕事はせずに机の上のものを鞄に詰め込み、次の場所へと移動するのであった。
外へ出て次の予定まで妙に時間が空いたとき、一人で入る店といえばドトールかマクドナルドぐらいしかない。
あとスターバックスぐらいだが、天神橋筋商店街や私鉄沿線の辺鄙な駅にスタバはない。
その時間は楽しいものだ。喧騒の中で書き物をしていて、ふっと目を上げれば約束の人が手を上げながらこちらに近づいてくる。
しかし最近は待っていても誰も来んな。
焼きが回ったな。
で、仕方なく、懐かしい回想をしながらの休憩タイムは終わり、
結局仕事はせずに机の上のものを鞄に詰め込み、次の場所へと移動するのであった。
2010年4月19日月曜日
泥の河
生まれ育ったところを聞かれて答えると、その人は「ああ、“泥の河”やね」と言った。
四半世紀以上まえのこと、私はまだ学生で、その人は現モノリスの社長である。
進路を考える頃に知り合いから紹介されて、業界のことなどいろいろ聞いていたときのことだ。私はまだ“泥の河”を読んだことがなかった。
高校までは公立で、みんな家庭はいろいろだったと思うが、似た様な地域から通ってきていた。それをとりたててどう、と考えたこともなかった。
ごみごみとした大阪市内の町中の、澱んだ川がそばに流れる、少し饐えたような海の匂いが朝夕に風に乗ってくる町。
小学生のときに病気で長い入院をした。白髪橋の病院から見える自宅の方角のシンボルは、灰色の円筒形のガスタンクだった。いつもそれを見て「家にかえりた い」と泣きべそをかいていた。
しかし大学に進んで世の中にはいろんな“場所”があるのだとわかった。
大学で出来た友人の住む街に行くと、そこはきれいで、真新しくて、遠くへ曲線を描いて伸びていく道路が何重にもあって、走る車や空気の色さえもちがう。
自分の住む町になんて呼べない。
長い時間そう思っていた。
今でも家は前の道路をはしるトラックの振動で揺れる。
南へ下れば、海の傍の工場に近づき、人家や店が建ち並ぶ表通りも荒涼とした色味をおびてくる。
もう少し進めば、あの「ブラック・レイン」の、錆びた巨大な、不気味なコンビナート街区。
その先の路は、深い暗い海の闇へと落ち込んでいる。
ひょっとしたらたとえば同じ高校のひとたちは、今どんなに立派になっていたとしても、
私と同じことを感じたことがあるのでは、と思う。
だからそういう者同士、会って話すとどこかしら安堵するのだろう。
自分の生まれ育った町のことを包み隠さず話せる仲間。
何十年かずっと心の奥底にしまって蓋をしてきた、そんな意識でつながっている気がする。
生まれた場所を離れて長く経ち、どんなに自分の記憶の履歴を消し去ったとしても
人生に秋風が吹く頃には、ひとは不思議とそこへ呼び寄せられる。
四半世紀以上まえのこと、私はまだ学生で、その人は現モノリスの社長である。
進路を考える頃に知り合いから紹介されて、業界のことなどいろいろ聞いていたときのことだ。私はまだ“泥の河”を読んだことがなかった。
高校までは公立で、みんな家庭はいろいろだったと思うが、似た様な地域から通ってきていた。それをとりたててどう、と考えたこともなかった。
ごみごみとした大阪市内の町中の、澱んだ川がそばに流れる、少し饐えたような海の匂いが朝夕に風に乗ってくる町。
小学生のときに病気で長い入院をした。白髪橋の病院から見える自宅の方角のシンボルは、灰色の円筒形のガスタンクだった。いつもそれを見て「家にかえりた い」と泣きべそをかいていた。
しかし大学に進んで世の中にはいろんな“場所”があるのだとわかった。
大学で出来た友人の住む街に行くと、そこはきれいで、真新しくて、遠くへ曲線を描いて伸びていく道路が何重にもあって、走る車や空気の色さえもちがう。
自分の住む町になんて呼べない。
長い時間そう思っていた。
今でも家は前の道路をはしるトラックの振動で揺れる。
南へ下れば、海の傍の工場に近づき、人家や店が建ち並ぶ表通りも荒涼とした色味をおびてくる。
もう少し進めば、あの「ブラック・レイン」の、錆びた巨大な、不気味なコンビナート街区。
その先の路は、深い暗い海の闇へと落ち込んでいる。
ひょっとしたらたとえば同じ高校のひとたちは、今どんなに立派になっていたとしても、
私と同じことを感じたことがあるのでは、と思う。
だからそういう者同士、会って話すとどこかしら安堵するのだろう。
自分の生まれ育った町のことを包み隠さず話せる仲間。
何十年かずっと心の奥底にしまって蓋をしてきた、そんな意識でつながっている気がする。
生まれた場所を離れて長く経ち、どんなに自分の記憶の履歴を消し去ったとしても
人生に秋風が吹く頃には、ひとは不思議とそこへ呼び寄せられる。
2010年4月17日土曜日
2010年4月13日火曜日
How can I know about it?
仕事先の担当者で、性別の分からない人がいる。
半年以上前に初めてあったときは、ソフトな男性だと思っていた。
なんか男物のスーツみたいなの着てたし、声もやや高いながら男性のものだと信じて疑わなかった。
名前は、女性とも男性とも取れる名前。
しかし、他の担当者と話したとき、「あのひとは女性なのか!?」ともとれる言葉を耳にした。
でもまさか、「○○さんは男ですか女ですか」なんて聞けるはずもない。
そんなこと誰かに聞いたこともない。
最近、件の人物に久しぶりに会ったのだが…
やっぱりどっちかわからない。
ふっくらした方で、年齢は30代前半ぐらい。 やっぱり男物のようなスーツを着ていた。
あんまりどっちだろうと考えてお顔を凝視していたので、ジャケットの合わせは見逃した。
靴もどっちともとれそうなチャッカーブーツみたいなの。でも、通常はパンツスーツに合わせて
女性が履く様な靴ではない。
でも、胸があるような気がするけど、全体にふっくらしているのでこれも微妙だ。
性別判別不能でも、特に仕事に支障はないのだが… 仲良くやってるし。
仕事の場で、ゲイ含む女性っぽい男性 という人には幾度となくお目にかかったことはあるが、
こういうケースは初めてだ。「ワカラン」というのは。
ワカランままに仲良くするのがいいのかもしれない。
半年以上前に初めてあったときは、ソフトな男性だと思っていた。
なんか男物のスーツみたいなの着てたし、声もやや高いながら男性のものだと信じて疑わなかった。
名前は、女性とも男性とも取れる名前。
しかし、他の担当者と話したとき、「あのひとは女性なのか!?」ともとれる言葉を耳にした。
でもまさか、「○○さんは男ですか女ですか」なんて聞けるはずもない。
そんなこと誰かに聞いたこともない。
最近、件の人物に久しぶりに会ったのだが…
やっぱりどっちかわからない。
ふっくらした方で、年齢は30代前半ぐらい。 やっぱり男物のようなスーツを着ていた。
あんまりどっちだろうと考えてお顔を凝視していたので、ジャケットの合わせは見逃した。
靴もどっちともとれそうなチャッカーブーツみたいなの。でも、通常はパンツスーツに合わせて
女性が履く様な靴ではない。
でも、胸があるような気がするけど、全体にふっくらしているのでこれも微妙だ。
性別判別不能でも、特に仕事に支障はないのだが… 仲良くやってるし。
仕事の場で、ゲイ含む女性っぽい男性 という人には幾度となくお目にかかったことはあるが、
こういうケースは初めてだ。「ワカラン」というのは。
ワカランままに仲良くするのがいいのかもしれない。
2010年4月12日月曜日
なんか用事?
あんまり気持ちのエエ話やないねんけど…
ゆうべ、去年じぶんであっちへいってしまった知人の男性(大学時代の友人の旦那)がどうも夢に出てきたようだ。さっき思い出した。グラフィックデザイナーだった。
その時はエラいこっちゃでなんやかんやとお世話をしたのだが、旦那とは昔からの知り合いではあるものの、そんなに二人で会話したことはなかったのである。寡黙やったし、派手な性格ではなかったしね。まあデザイナーによくある性格であった。
なのでご本人は ずっと、ワシの夢には出てこなかった。私と友人の関係はあっても、旦那が特に夢にでてくる必然性がなかったのである。
夢に 出てきた彼は、なぜか妙に白い顔をしてる。お化粧してるみたいに。
で、すごいニコニコしてる。ふだんあんまりニコニコしてるの見たことなかったのに。
実は彼の未亡人である私の友人は、私の父がなくなってから何度もメールや電話をくれているのだけど、ろくに返事していない。
去年は彼女は夫を、私は父を失った。
彼女は学生時代からよくうちに遊びに来て泊まって行ったりして、うちの伯母や父とも親しかったのである。
その後もちょくちょく、 父と彼女は会う機会があった。豪放磊落な彼女の気質を父が気に入り、私があまり食べないのに彼女はドンブリ飯なので余計嬉しく、また酒も相当イケたので、よくみんなで飲みに行ったりしていたのだ。
(しかし父の女性としての好みのタイプは、ワシが入学時一緒に下宿していた、真っ赤な117クーペに乗っていたハイレベル美人のSHIEちゃんだったが…)
父を知らない人、父と交流のなかった人からお悔やみをいわれるのはいっこうに平気なのだが、同じ友人でも父と親しかった人間から声をかけられると、いまだに返せなかったのだ。
心配してくれてるのはわかるのだが、いろいろ話すのがしんどくてできなかった。
それとあの世の旦那がワシの夢に出てきたのがどう関係あるのかワカランが、たぶん
「もうエエ加減に連絡取ったってくれや」という話だと思う。
シビレ切らしてワシに文句言いに出てきたん やろう。
スマン。エエ加減に、次へ進めということやね。
あの世からわざわざ用事に出てきてもらって、申し訳なかった。いらん手間やったね。
でも、ニコニコしてたから、あっちで幸せなんやろうか。
それとも、お愛想????(笑)
お愛想笑いができるようになって、あっちへ行って成長したなあ。
ゆうべ、去年じぶんであっちへいってしまった知人の男性(大学時代の友人の旦那)がどうも夢に出てきたようだ。さっき思い出した。グラフィックデザイナーだった。
その時はエラいこっちゃでなんやかんやとお世話をしたのだが、旦那とは昔からの知り合いではあるものの、そんなに二人で会話したことはなかったのである。寡黙やったし、派手な性格ではなかったしね。まあデザイナーによくある性格であった。
なのでご本人は ずっと、ワシの夢には出てこなかった。私と友人の関係はあっても、旦那が特に夢にでてくる必然性がなかったのである。
夢に 出てきた彼は、なぜか妙に白い顔をしてる。お化粧してるみたいに。
で、すごいニコニコしてる。ふだんあんまりニコニコしてるの見たことなかったのに。
実は彼の未亡人である私の友人は、私の父がなくなってから何度もメールや電話をくれているのだけど、ろくに返事していない。
去年は彼女は夫を、私は父を失った。
彼女は学生時代からよくうちに遊びに来て泊まって行ったりして、うちの伯母や父とも親しかったのである。
その後もちょくちょく、 父と彼女は会う機会があった。豪放磊落な彼女の気質を父が気に入り、私があまり食べないのに彼女はドンブリ飯なので余計嬉しく、また酒も相当イケたので、よくみんなで飲みに行ったりしていたのだ。
(しかし父の女性としての好みのタイプは、ワシが入学時一緒に下宿していた、真っ赤な117クーペに乗っていたハイレベル美人のSHIEちゃんだったが…)
父を知らない人、父と交流のなかった人からお悔やみをいわれるのはいっこうに平気なのだが、同じ友人でも父と親しかった人間から声をかけられると、いまだに返せなかったのだ。
心配してくれてるのはわかるのだが、いろいろ話すのがしんどくてできなかった。
それとあの世の旦那がワシの夢に出てきたのがどう関係あるのかワカランが、たぶん
「もうエエ加減に連絡取ったってくれや」という話だと思う。
シビレ切らしてワシに文句言いに出てきたん やろう。
スマン。エエ加減に、次へ進めということやね。
あの世からわざわざ用事に出てきてもらって、申し訳なかった。いらん手間やったね。
でも、ニコニコしてたから、あっちで幸せなんやろうか。
それとも、お愛想????(笑)
お愛想笑いができるようになって、あっちへ行って成長したなあ。
2010年4月4日日曜日
4月になれば私は
3月は暖かいのか寒いのかわからぬままに日々が過ぎ、ついでに先週出張続きで大風邪をひいてしまい、桜の時期もなんかよくわからんうちに過ぎ去りそうな今年。
風邪が治りにくくなってきたのは年齢のせいでしょうか?
四国へ日帰りした翌日、奈良盆地のど真ん中へ大学教授の取材。冷たい雨がザンザン降りの奈良は凍て付くように寒かった。傘をさしても吹き付ける雨から逃れることはできない。肩とカバンとパンツの裾がズンズン濡れていく。 冷たい、サブイ。これはもう、20分歩いて駅まで行くのは自殺行為。
たまらずタクシーに乗ると、なぜか70年代風肩までロングヘアの、70年代に青年だったであろう兄ちゃん風味の実は思いっきり50代後半オッチャンドライバーが、「今奈良5℃やてゆうてましたで」と追い討ちをかける。
このタクシードライバー、風体から明らかに転職組とみてとれる。楽天的な性格なのか、とにかくどうでもいいようなことをベラベラしゃべってくれるブラザーなのだが、凍えて乗ってきた客をまた冷凍室に放り込むような気温の話はやめてくれ。
もうちょっと気を利かせて、ハワイの話でもしてくれよ。
なんとか駅に着いたが昼間で電車も来ず、これまたホームが深深と強烈にサブイ。
音もなく雨だけが吹きすさぶホームに立っていると、靴の底から冷たい地面へ自分の熱がさあさあと奪われているのが分かる。代わりに自分の足の裏から冷気がゾゾゾゾと這い上がってくる。
アカン。
こらもうここでこれ以上はヤバイ。
耐えがたきを耐えてやっと電車に乗り、ちょっとは暖かい車内で一息ついたのもつかの間。
鶴橋で降りるとまた悪魔のように寒さが襲ってきた。奈良よりはマシやけど。
こんな日に限って、着丈の短いダウンを着ている。
腰から下がサムイ… お尻周りが寒い…
脂肪というモノは冷えやすいのである。
もう、とにかく、からだの中から暖をとらねば。
鶴橋のホームのうどん屋にとびこんだ。
おんなじ様なことを考えた人ばかりのようで、ホームのうどん屋はその日
今まで見たことがないほどごった返していた。
まさに「紛糾」という表現がぴったりのその日のホームのうどん屋であった。
あの日ほど、ホームのうどん屋に人が出入りするときに開け閉めされる扉から、
もわもわあ…と漏れ出でる湯気が魅惑的に見えたことはない。
風邪が治りにくくなってきたのは年齢のせいでしょうか?
四国へ日帰りした翌日、奈良盆地のど真ん中へ大学教授の取材。冷たい雨がザンザン降りの奈良は凍て付くように寒かった。傘をさしても吹き付ける雨から逃れることはできない。肩とカバンとパンツの裾がズンズン濡れていく。 冷たい、サブイ。これはもう、20分歩いて駅まで行くのは自殺行為。
たまらずタクシーに乗ると、なぜか70年代風肩までロングヘアの、70年代に青年だったであろう兄ちゃん風味の実は思いっきり50代後半オッチャンドライバーが、「今奈良5℃やてゆうてましたで」と追い討ちをかける。
このタクシードライバー、風体から明らかに転職組とみてとれる。楽天的な性格なのか、とにかくどうでもいいようなことをベラベラしゃべってくれるブラザーなのだが、凍えて乗ってきた客をまた冷凍室に放り込むような気温の話はやめてくれ。
もうちょっと気を利かせて、ハワイの話でもしてくれよ。
なんとか駅に着いたが昼間で電車も来ず、これまたホームが深深と強烈にサブイ。
音もなく雨だけが吹きすさぶホームに立っていると、靴の底から冷たい地面へ自分の熱がさあさあと奪われているのが分かる。代わりに自分の足の裏から冷気がゾゾゾゾと這い上がってくる。
アカン。
こらもうここでこれ以上はヤバイ。
耐えがたきを耐えてやっと電車に乗り、ちょっとは暖かい車内で一息ついたのもつかの間。
鶴橋で降りるとまた悪魔のように寒さが襲ってきた。奈良よりはマシやけど。
こんな日に限って、着丈の短いダウンを着ている。
腰から下がサムイ… お尻周りが寒い…
脂肪というモノは冷えやすいのである。
もう、とにかく、からだの中から暖をとらねば。
鶴橋のホームのうどん屋にとびこんだ。
おんなじ様なことを考えた人ばかりのようで、ホームのうどん屋はその日
今まで見たことがないほどごった返していた。
まさに「紛糾」という表現がぴったりのその日のホームのうどん屋であった。
あの日ほど、ホームのうどん屋に人が出入りするときに開け閉めされる扉から、
もわもわあ…と漏れ出でる湯気が魅惑的に見えたことはない。
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