Markey's Osaka West "Oba-han"River-side Blues......

       ── ひらりひらひら きままな稼業 風に吹かれて 東へ西へ

2010年4月19日月曜日

泥の河

生まれ育ったところを聞かれて答えると、その人は「ああ、“泥の河”やね」と言った。

四半世紀以上まえのこと、私はまだ学生で、その人は現モノリスの社長である。

進路を考える頃に知り合いから紹介されて、業界のことなどいろいろ聞いていたときのことだ。私はまだ“泥の河”を読んだことがなかった。

高校までは公立で、みんな家庭はいろいろだったと思うが、似た様な地域から通ってきていた。それをとりたててどう、と考えたこともなかった。
ごみごみとした大阪市内の町中の、澱んだ川がそばに流れる、少し饐えたような海の匂いが朝夕に風に乗ってくる町。
小学生のときに病気で長い入院をした。白髪橋の病院から見える自宅の方角のシンボルは、灰色の円筒形のガスタンクだった。いつもそれを見て「家にかえりた い」と泣きべそをかいていた。


 しかし大学に進んで世の中にはいろんな“場所”があるのだとわかった。
大学で出来た友人の住む街に行くと、そこはきれいで、真新しくて、遠くへ曲線を描いて伸びていく道路が何重にもあって、走る車や空気の色さえもちがう。

自分の住む町になんて呼べない。
長い時間そう思っていた。

今でも家は前の道路をはしるトラックの振動で揺れる。
南へ下れば、海の傍の工場に近づき、人家や店が建ち並ぶ表通りも荒涼とした色味をおびてくる。
もう少し進めば、あの「ブラック・レイン」の、錆びた巨大な、不気味なコンビナート街区。
その先の路は、深い暗い海の闇へと落ち込んでいる。


ひょっとしたらたとえば同じ高校のひとたちは、今どんなに立派になっていたとしても、
私と同じことを感じたことがあるのでは、と思う。
だからそういう者同士、会って話すとどこかしら安堵するのだろう。
自分の生まれ育った町のことを包み隠さず話せる仲間。
何十年かずっと心の奥底にしまって蓋をしてきた、そんな意識でつながっている気がする。

生まれた場所を離れて長く経ち、どんなに自分の記憶の履歴を消し去ったとしても
人生に秋風が吹く頃には、ひとは不思議とそこへ呼び寄せられる。

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