Markey's Osaka West "Oba-han"River-side Blues......

       ── ひらりひらひら きままな稼業 風に吹かれて 東へ西へ

2011年4月29日金曜日

再会

南森町のはずれ、東天満の交差点近くにぽつん、とあるお好み焼き「てんご」。

関西スポーツDJの草分け、マーキー(今は“谷口”つけないみたい)の嫁さん、えりちゃんが営む店である。
DJブースがある店内

どんな事情があるのかは知らないが、からだがもうしんどいのか不景気なのか、今月いっぱいで閉めるということで、昔のアメリカ村仲間が集まろうと声がかかった。スミさんがみんなに声をかけたらしい。えりちゃんは閉店後、東北にボランティアに行くと後で聞いた。スゴイ、やっぱりパワフルや。

まりりんを連れて、私は初めての訪問だ。
金さん、絶好調でした
集まったのは繁さん、スミさん、とんぼちゃん、成金さん、 みっちゃん。それから、名前を知らない人2名。30年以上前、アメリカ村がまだ長閑な“北炭屋町”だった頃の面々だ。
師匠登場したけど、まだ病み上がりで調子悪いとのこと

松太郎、ほんまにデカい…
三角公園のたこ焼き屋はまだ小さくて家族だけでやっていて、その横にはあの“エルパソ”があった。サーフショップは“ラハイナ”、“アワーハウス”、古着は“My Way”。リーバイスとコンバースとヘインズ。初めは、この町にもそれぐらいのモノしかなかった。

繁さんは今でも長堀でレッドウィングの修理の店をやっている。昔からワークブーツ大好きだったが、ホントに好きなのだ。病気をしたという とんぼちゃんがそう呆れたように笑う。
店によく連れてきていた赤ちゃんのクーニンがもう30歳で、茂さんと一緒に店を切り盛りしているという。おっさんになったもんだ、時間の経過が恐ろしい。

表で飲んでいると、タクシーが止まって帽子の男性が降りてきた。マーキー氏が来た。
病気でラジオも休んでいたようで、ちょっとだけ立ち寄った、とのこと。彼だけはあまり流れた時間を感じさせないルックスだ。流石芸能人。
でも、昔のキリキリ尖った雰囲気がなくなって、シャープだけど静かな空気をまとってた。

ピレネーの松太郎には初めて逢ったけど、大人しくて深遠な犬だった。
スミさんのジャージ…60前のオッサンです…

みんなに平等に時間は流れた。あの頃はいろんな人が変わりばんこに順列組み合わせのように喧嘩して、悪口を言って、時々殴り合いもして大騒ぎになって、でも、みんな若くて不安な未来を持っていて、まちの進む道さえわからないアメリカ村で、いろんな夢を描いてた。
私はまだ学生で、隅っこのアルバイトだったんだけど。みんながすごくパワフルで、毎日何か新しいことが起きて、海の向こうからやってくるいろんなモノや情報は、グリッターのようにキラキラ光ってた。
左のお二人、どなたでしたっけ???

表の席でご機嫌になったスミさんが店のお客の若い女の子に、その頃の話を熱心にしていたが…
結構面白そうに聴いてたねえ、あの子たち。好々爺の昔話だが、今の時代より確実に夢のある話だもんね。

あと何回位集まれるんだろう。あのヒトと、あの人にも逢いたいね。

今日は501よう売れた!店が終わったら、チビラも大人コウジも子どもコウジも皆で百番行くで~!!マーキーとこに誰かおったら誘おうか。あっ、さっき、タンクも放送局の打ち合わせ終わって来たんちゃう?って、懐かしいね。田垣さんとこまたヘンなもんフランスから仕入れたみたいやな。
もうちょっと飲みたくなったら、あとで3人だけで、吉田バーいこか。

とんぼちゃんは娘がほしかったそう
そうそう、クージーさん。またどっか行ってはったんですか、顔真っ黒けですやん。いやどこどこ行ったら病気物凄い流行ってたんやけど、俺は何でか知らんけどならんかったわ、とかいろいろ言うたり、してましたね。
あの、三ッ寺にあった昔っぽい飲み屋の名前、なんでしたっけ?みんなよく行ってた。

ネットも携帯もデジタル機器もなかったけれど、入れ替わり立ち代りいろんな人がやってきて、逢って、話して、思いついたことやってみて。面白くて楽しくて、それだけで毎日が過ぎていた。

私もこの町に、この店にいたことがその後に大きく関わるのだけど、残念ながらあまり結果はよくならなかった、今のところは。これはちょっと笑うしかないけど、昨日逢った人たちにまた、少しずつ、いろいろ話してみようかな。 いや、この場所に居た人たちなら、いきなりな話をしてもきっと言わない何十年かの中味を察してくれることだろう。

2011年4月24日日曜日

'70sはもう、見えなくなる彼方へ

出張先の姫路。お友達もできて楽しかったおでん屋から帰り、ホテルで大浴場に貸し切り状態で入り、低アルコールのビールをプシュと開けながら上機嫌でTVをつけると…キャンディーズのスーちゃんの訃報?え?

ある年代以上の人間には誰もがそうだったろうけど、あまりに唐突な報道で…

ああ、でも55歳か。何があっても全然おかしくない。 でもちょっと早いな。

昨日の金曜の夜は、全国の飲み屋でオッサン連中が追悼の盃を重ねていただろう。
で、今夜の土曜の夜は、独りで動画を観たり、レコードを引っ張り出して聴いて涙の深酒になる、という様子が目に見えるようである。

Youtubeがポピュラーになってから、キャンディーズ然り、トシちゃん然り、改めて70~80年代のアイドルを動画でちゃんと見る機会を得たのだけど、なんと今に比べてトータルのレベルの高いことか。
キャンディーズはデビュー曲はまだしも、その後がパッとしなかったのだが、ランちゃんがセンターに来た例の「年下の男の子」でブレイクする。

いろんなヒット曲をYoutubeで見たけど、 「年下の男の子」はデキシーランド・ジャズ調、「やさしい悪魔」「アン・ドゥ・トロワ」はいわずと知れた拓郎の作品。「わな」はラテン、「その気にさせないで」はスリー・ディグリーズ風歌謡ソウル。いろんな試みしてたんやなあ、改めて聴くと。


キャンディーズには、こういう実験的な試みを受け入れて消化する能力が必要だったし、またあったのだろう。

全方位的に管理プロデュースされて、その設計図の中で求められるアクトのみをこなす今のアイドルとは技量が違うな。
その当時はそんなこと、全然気づかなかったんやけど。
私たちが若かったとき、親の世代の懐メロを聴いて「カッコイイ!凄い!」とは思わなかったけど、平成生まれの子たちはYoutubeみて、昭和のアイドルやスターに驚いて嵌るパターン、多いみたいやね。

今の音楽業界はやっぱり大変だ。
メディアが多様化してしまった上に、こうやって「過去」が恐ろしく力のある競合になってしまったのだから。

2011年4月13日水曜日

高津神社とウクレレ

高津神社、何年かぶりにお花見にいったんやけど、今年は出店自粛でぼんぼりもなく空間のイメージがまるっきり違っていた。

いつもは出店に仕切られて、空間自体がもうちょっとクローズドな感じだったのだが、いやにオープンなのだ。
ちょっと面食らいながらも、大川べりのようにそうそう遠くからは人が来ない場所なので、休日でもまったりと楽しめてお気に入りの花見処だ。
まあ、周りの環境は生玉近辺やし、アレやねんけども…


ちいさいときから、日本橋一丁目(住所は高津だった)に住む叔母に連れられ、
よくここの神社の夏祭りや盆踊りに来た。
叔母は昔で言う東櫓町(今は場外馬券売り場?)で長年続くバーを営んでいたので、
ここらへんの色町の事情には詳しかった。

高津神社の盆踊りは浴衣姿のキレイなオカマや不細工なオカマが大勢集まり、思い思いに踊りを楽しんでいて、ちいさな私は可愛がられていろんなオカマに飴細工を買ってもらったり、
一緒に金魚すくいや射的をしてもらった。
射的なんかになると、オカマは完全に素のオッサンやったな…

潤子叔母は、白い艶のある浴衣に菖蒲の裾模様で、
きり、として境内のアセチレンの灯りの中で綺麗やったね。
もともと芸事が好きで宝塚の男役にもなりたいと思っていたらしい、整った男顔の人やった。
泉尾女学校時代の写真も、凛々しい「お姉さま」という雰囲気だ。

この叔母の旦那(正確には結婚していないが)が、ずっとオアフに住んでいたのでした。
潤子叔母、生涯男運はよくなかったねぇ。その代わり好きなように生きたけど。

まぁあの頃やから相当良い時代もあった訳で、最後はムチャクチャで物凄い振れ幅やったけど、
結局はイーブンかな。そやけど結局同じ平均律でも、あんな激しい乱高下はしんどいな…

で、30年以上前の高校時代にオアフの義理叔父の元を初めて訪ねたワタシは、
今ちょいとその頃を思い出しながら、ウクレレを弾きたいと思っているのです。

2011年4月9日土曜日

オイルサーディン試作品

地元のスーパーに、とびきり新鮮ではないが小羽イワシがあったので
昔によく作っていたオイルサーディンをまた製造しようと思い立ち。

もらいもののオリーブオイルと岩塩のセット(おろさないと使えないので、消費しづらい。うちイタリア料理屋やスペイン料理屋ちゃうし…)が大量にあるのでそれも使いたいし…

塩漬けにした段階でフラフラと出歩いていたので、塩がキツくなってしまった。
レシピ覚書にしとこ。
キャベツや菜の花とパスタにして、この季節冷えた白ワインで至福です。冷酒にも意外と合うかも。

【自家製オイルサーディン】

◇下処理
いわしは頭、内臓、うろこを除き水洗いをする
(大きいいわしは3枚におろし腹骨を除く)。
いわしが全部浸る量の塩水(10%ぐらい)に2時間漬ける。
→●これでは塩辛かったので、30分漬ける位か、塩水を水200ccに塩10g(5%)ぐらいでいいと思う。


  1. 鍋に水気を除いたいわしを並べ、にんにくのうす切り、粒こしょう、種を除いて輪切りにした唐辛子、ローズマリー・ローリエなどハーブを加える。上からいわし全体にかぶる量のオリーブオイルを注ぐ。
  2. 弱火で10分煮る(いわしがおどらないように注意)。またはシャトルシェフで20~30分放置。
  3. さめたらオイルごとビンに入れ冷蔵庫で保存する。

2011年4月7日木曜日

堀江の辺のボルゾイ

南森町での打ち合わせを早々に切り上げ、大川沿いへ自転車を駆ってレッツラゴー!

桜ノ宮まで行ってしまった…

帰りは大阪城公園を横目に、適当なルートで南西へ戻ってきたのだが、堀江あたりでボルゾイに会った。

前から時々見かけたのよね~スーパー玉出の近くで。

東京にはヤタラとこういう犬がいるが…アフガンハウンドとか、ジャイアント・シュナウザーとか、フツーに散歩させてるもんね。
流石に大阪ではあんまり見ないわねえ。

大学の友人で、シャネル東京本社に居てベイエリアのたっかいマンションで一人優雅に暮らしている悪いY子が、「ボルゾイ飼いたいのよね~気品あんじゃん♪」とか抜かしおってて、
「ひとりであんなイヌどうやって飼うねん!お前は王族か!」と突っ込んでいた頃が懐かしいわ。

でも、Y子、えらいよなあ。英語もフランス語もぜんっぜんでけへん状態から現在に至る。
やっぱり相当根性あるで。
トシ、何十年も前からずーーーーーーっとサバ読んで、相当悪いことしてるけど。

2011年4月4日月曜日

すやすや、おやすみ

しらん間に、まりりんがぴん子に枕を縫っていた。裁縫は私はすでに抜かれてしまったと思う。

気がついてみると、フエルトで縫ったチマチマしたケーキなんかがゴロゴロしている。
まあ、いい。自分が不得意なことをまりりんが得意になってくれれば助かるのだ。

でもねー、なんかこの図、妙な感じしない?今日びのイヌってこんなんなんかなー。
まあ、昔はやらせなかっただけか…

すやすやと気に入って寝ている様子なので、快適なんでしょうね。人間と同じなんだね。

まりりん、ねじにも作ってあげようかって言ってるよ。
だいぶサイズアップしないとね。

2011年4月2日土曜日

夜の空気は止まるけど

まりりんも、イヌも、お友達もみんな寝た春の宵。

今夜はモニタの向こうにも誰の気配もない。

週末はそれぞれがそれぞれの場所へ迷い込み、あたりはしんと静かになって、

ひとりでぽつりぽつりとタイプする音だけが、深夜の部屋を震わせる。


夜の空気は止まるけど、それでも時間は止まらない。