高津神社、何年かぶりにお花見にいったんやけど、今年は出店自粛でぼんぼりもなく空間のイメージがまるっきり違っていた。
いつもは出店に仕切られて、空間自体がもうちょっとクローズドな感じだったのだが、いやにオープンなのだ。
ちょっと面食らいながらも、大川べりのようにそうそう遠くからは人が来ない場所なので、休日でもまったりと楽しめてお気に入りの花見処だ。
まあ、周りの環境は生玉近辺やし、アレやねんけども…
ちいさいときから、日本橋一丁目(住所は高津だった)に住む叔母に連れられ、
よくここの神社の夏祭りや盆踊りに来た。
叔母は昔で言う東櫓町(今は場外馬券売り場?)で長年続くバーを営んでいたので、
ここらへんの色町の事情には詳しかった。
高津神社の盆踊りは浴衣姿のキレイなオカマや不細工なオカマが大勢集まり、思い思いに踊りを楽しんでいて、ちいさな私は可愛がられていろんなオカマに飴細工を買ってもらったり、
一緒に金魚すくいや射的をしてもらった。
射的なんかになると、オカマは完全に素のオッサンやったな…
潤子叔母は、白い艶のある浴衣に菖蒲の裾模様で、
きり、として境内のアセチレンの灯りの中で綺麗やったね。
もともと芸事が好きで宝塚の男役にもなりたいと思っていたらしい、整った男顔の人やった。
泉尾女学校時代の写真も、凛々しい「お姉さま」という雰囲気だ。
この叔母の旦那(正確には結婚していないが)が、ずっとオアフに住んでいたのでした。
潤子叔母、生涯男運はよくなかったねぇ。その代わり好きなように生きたけど。
まぁあの頃やから相当良い時代もあった訳で、最後はムチャクチャで物凄い振れ幅やったけど、
結局はイーブンかな。そやけど結局同じ平均律でも、あんな激しい乱高下はしんどいな…
で、30年以上前の高校時代にオアフの義理叔父の元を初めて訪ねたワタシは、
今ちょいとその頃を思い出しながら、ウクレレを弾きたいと思っているのです。
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