昨日の姫路で買ってきたお酒、何の肴で呑もうか…と思案しつつ。
雪彦山のひやおろし。今の季節もんである。
日本酒のアテと、まりりんさんのお食事の両立は難しい。
ビールやワインならなんでもええのだが…
故 じいちゃん、つまり私の父は場末の自営業者の常道で、
喰うもん、特に酒の肴には五月蝿かった。
私の母が亡くなってからは 父の姉(芸事大好きで宝塚音楽学校にも行っていた)が父の
食事の面倒を見ていたが、彼女自身が独り者で日本橋一丁目あたりに住んでいたので、
黒門でやたらええ魚などを毎晩買って来て、予算オーバー過ぎて
それはそれは大変だったのである。
叔母はすべてにおいて洒脱であったが、やはり派手な人であったのだ。
30年ぐらい前の当時、雲丹やヒラマサや脂ののった縞鯵に毎晩生山葵を摩り下ろして、
お造りに穂紫蘇もたっぷり添えて、って感じである。
煮付けはガシラ、アブラメ、キンキとか。
焼き物はアマダイ、スズキ、鰆など。贅沢すぎるでしょ。身の丈に合ってないよねえ。
でも今思えば、美食は母を早々に亡くしてしまった父の、唯一の愉しみだったのかも
しれない。
父自身も磯釣りをしたので、魚には五月蝿かった。
あの年代の人にしては上背があり、よく呑み、よく食べた。
寿司はよく相生橋のすし捨へ行っていたが、相当かかっていたと思う。
家での晩酌には造りかそれに準ずるものがが必要で、ちょっとでも魚が悪いと
文句を言われるので、私は本当に買い物に苦労した。スーパーなんて論外やもんな。
魚のためだけにあちこち行っていた。
仕事でどこかに行くと、父の肴になるようなものを探して買って帰ったり。
いつもいつも、叔母が体調を崩してあまり来れなくなってからずうっと、去年まで。
20年間ぐらい毎日、相当神経を使っていた。
叔母は料理もそれなりの学校へ行っていて、流石に上手であった。
叔母の作る若竹煮や、正月の煮しめは美味しかったねえ。
で、今日は日本酒に合うもの…
自分だけなら呑むためだけの肴をちょこちょこでいいのだが、叔母のように高価な造りは
買う根性ないし、周りにいい魚を売っている店もいまはほとんどない。
まりりんさんのおかずにもなるものでないとアカンしね。で、
鶏の酒蒸し、若布と大根と雑魚の胡麻油炒め、ジャガイモの白煮。
手がかかってない!と怒られそうだが、こんなもんで、許してちょ。天上の叔母上ちゃま。

おまけは、蒸し鶏ででたスープで鶏葱そば。
横着して蒸し麺で作ったので、太すぎた…
これは細麺でないとアカンかったな。
父と叔母からダメ出し必須だ。
父がいたときは、最後のこういう〆物を出さないといけなかった。大変だったが、お陰でいろんなことを覚えられた。感謝しています。