嫌なことは忘れようとする脳機能のおかげなんだろか?
でも、きっとあきらめないで心静かにいれば、やさしくて楽しいこともこれからあるよね。
11月は秋と冬のグラデーションの時間。 中学生ぐらいのときも、いつもこの時期にセーターをおろしていた。
それまでの薄物の長袖の上に、ウールを1枚重ねて「季節が変わったんだな」と文字通り肌で感じていた時期。
…でも、その頃の記憶の糸をたどれば、この時期には炎の見えるストーヴを出して、その上には湯気をほのかに吐く薬缶があったと思うんだけど…
やっぱり 今はかなり暖かくなっているのかも知れないな。

この月に入ると、ことん、と陽が落ちるのがはやくなる。
家路への道、ジャケットの衿を立てる日がふえてゆく。
みんなが帰った後の校庭に、藍色と緋色の混ざった帳がひんやりと下りようとするのを、ちいさい私も、どこからか見ていた。
たぶん、手には竹箒。
黄昏の校庭とセットなのは、やっぱりドヴォルザークやね。
あの頃は、家に帰れば
修理しかけでブラウン管がむき出しのTVや、電圧計や工具がいつもあって、
店にしゃべりに立ち寄った近くのお客さんが振り向いて。
ざわざわとした空気の向こうに、
やさしい湯気と夕餉のにおいがたちのぼり出迎えてくれた。
家の中にも、なんだか人が大勢いた。
今は自分が火をおこす役目だけど、暖かい場所とにおいを
あの頃みたいに、作れてるんだろうか。
やっぱり足りないものがいくつもあるね。
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