来訪者の少なさを誇る当ブログだが、検索ワードで迷い込む災難な人もそのまた少数だがいらっしゃる。
今までの検索ワードダントツ1位は「ロッド・テンパートン」大先生だ。
今ではどこでどうしておられるかわからない大先生だが、検索している日本人がいることは喜ばしい。
次に多いのは「芽瑠璃堂」。音楽関係が続く。
この2つが目立って多く、ここへ迷い込む人の平均年齢が窺い知れる。
要するに私と同年代か、それ以上の人々だ。70年代ソウル・ファンク好きの、昔は異様に腰がほそくて、
ピッチピチに前をボタンで留める“ベルボトムのジーンズ”を履いていた軟派者のオッサンとプロファイルする。
あとはチョボチョボ。「ビルボードライブ大阪」が次ぐらいか。
検索して来た人、ロクな情報じゃなくてスマン。
面白いのでは、「Osaka downtown ワシ」なんていうのもあった。
こりゃ、フツーは組み合わさらざるべきワードやよね。知り合いかえ?
Markey's Osaka West "Oba-han"River-side Blues......
─────── ひらりひらひら きままな稼業 風に吹かれて 東へ西へ
2011年1月31日月曜日
2011年1月26日水曜日
-Osaka University of Arts- 母校アドベンチャー
はー、冷や汗モノの大森監督(教授だ)取材が終わり、いろいろ独特の矛先で突っ込まれながらもなんとか終え…
(同行の担当者は世代が下で監督の名さえ知らなかった!しかしいくらなんでも、情報産業におってそれはナシやで)
けれど監督はクリエイターズユニオンの田中社長が仰ってくださったとおり、芸大内で教壇を離れているときには、気さくで独特の個性をお持ちの、結構大柄な、関西のオッチャンでした。
プロフには芦屋出身とあるが、小学校までは針中野で生まれ育ったとのこと。100へぇ(古)だ。
教務課・入試課の方とも親しい間柄なのかも知れませんが、近所の知り合い同士のような会話で冗談を言い合っておられたし…
こういう教授と学校スタッフの関係はあまりみないので、ちょっとびっくり。お人柄かしらん。
映画ドシロウトの私相手によくまあ1時間半もお話くださったものだと大感謝です。
ホンマにすんませんでした。
私自身がOGなのでやはり気楽で取材もしやすい。
学校スタッフもOGというとガラっと態度をやわらかくしてくださる。
芸術系なので、そこには独特のシンパシーが存在するというわけです。
それはお互いの建前の裏側にある、どうしようもない切なさや自虐的な思いや、幸せの感じ方や、どんな感覚がこのヒトと一致するのかなという楽しみや、まあ、そういうことです。
で、次の教授取材まで時間があったので、クールダウンも兼ねてキャンバス内をウロウロ…
私が通っていた頃そのままの校舎もあるし、立派過ぎる芸術劇場や映画館が新設されていて驚き。
さすがに建築意匠は凝ってるねえ。しか しカッチョええ学舎の扉に「イノシシ注意」の掲示があるのはワロタ。教務課の人が「去年学生がマムシに噛まれて病院送りになった」と言っていた。マムシは 私の時代にもいたが、まだいるのか。よく忍者研究会が裏山で修行(?)してて、噛まれたとか騒いでいたっけ。
(同行の担当者は世代が下で監督の名さえ知らなかった!しかしいくらなんでも、情報産業におってそれはナシやで)
けれど監督はクリエイターズユニオンの田中社長が仰ってくださったとおり、芸大内で教壇を離れているときには、気さくで独特の個性をお持ちの、結構大柄な、関西のオッチャンでした。
プロフには芦屋出身とあるが、小学校までは針中野で生まれ育ったとのこと。100へぇ(古)だ。
教務課・入試課の方とも親しい間柄なのかも知れませんが、近所の知り合い同士のような会話で冗談を言い合っておられたし…
こういう教授と学校スタッフの関係はあまりみないので、ちょっとびっくり。お人柄かしらん。
映画ドシロウトの私相手によくまあ1時間半もお話くださったものだと大感謝です。
ホンマにすんませんでした。
私自身がOGなのでやはり気楽で取材もしやすい。
学校スタッフもOGというとガラっと態度をやわらかくしてくださる。
芸術系なので、そこには独特のシンパシーが存在するというわけです。
それはお互いの建前の裏側にある、どうしようもない切なさや自虐的な思いや、幸せの感じ方や、どんな感覚がこのヒトと一致するのかなという楽しみや、まあ、そういうことです。
で、次の教授取材まで時間があったので、クールダウンも兼ねてキャンバス内をウロウロ…
私が通っていた頃そのままの校舎もあるし、立派過ぎる芸術劇場や映画館が新設されていて驚き。
![]() |
目が合ったら後ずさりするのか |
さすがに建築意匠は凝ってるねえ。しか しカッチョええ学舎の扉に「イノシシ注意」の掲示があるのはワロタ。教務課の人が「去年学生がマムシに噛まれて病院送りになった」と言っていた。マムシは 私の時代にもいたが、まだいるのか。よく忍者研究会が裏山で修行(?)してて、噛まれたとか騒いでいたっけ。
2011年1月21日金曜日
母校へ取材はいいけれど
えらいこっちゃ。月曜日に大阪芸大映像学科へ、大森一樹監督(教授)の取材が入った。イキナリすぎるやろ。
自慢にならんが、ほとんど作品バシッと見たことないぞ!
これは大変失礼なので、急ごしらえは仕方がないがこの土日はDVD借りてきてひとり大鑑賞会だ。医大卒であられるので、『ヒポクラテスたち』は確かそんなような映画だったような…って、この程度の体たらくなのである。
30年ほど前の映画やから、今の医学部の状況とは全く違うんやろなー。
ヒポクラテスって4色の体液のバランスで人間は病気になるって唱えた病理学の祖なんやよなー。って、こんなことも医学部取材で最近知った体たらく…インテリ源ちゃんには程遠いのだ。
とにかく緊急事態だ。本日はデカイTSUTAYAへ直行。
世間への露出量が莫大な人物に関しては、イキナリの取材は非常に困るし、何より世の中にポピュラーに情報や作品が流通してるんやから、それを充分取り込んでからお会いしないとイカンわな。
日々突発的な出来事に振り回されるわが身。若い頃怠けたんやから、血を吐いて苦労して勉強せいってことやわな。 いやそこまでなかなかしてないけど。
自慢にならんが、ほとんど作品バシッと見たことないぞ!
これは大変失礼なので、急ごしらえは仕方がないがこの土日はDVD借りてきてひとり大鑑賞会だ。医大卒であられるので、『ヒポクラテスたち』は確かそんなような映画だったような…って、この程度の体たらくなのである。
30年ほど前の映画やから、今の医学部の状況とは全く違うんやろなー。
ヒポクラテスって4色の体液のバランスで人間は病気になるって唱えた病理学の祖なんやよなー。って、こんなことも医学部取材で最近知った体たらく…インテリ源ちゃんには程遠いのだ。
とにかく緊急事態だ。本日はデカイTSUTAYAへ直行。
世間への露出量が莫大な人物に関しては、イキナリの取材は非常に困るし、何より世の中にポピュラーに情報や作品が流通してるんやから、それを充分取り込んでからお会いしないとイカンわな。
日々突発的な出来事に振り回されるわが身。若い頃怠けたんやから、血を吐いて苦労して勉強せいってことやわな。 いやそこまでなかなかしてないけど。
2011年1月20日木曜日
遠くのナニより近くの友
正月しょっぱなから昨日にかけて、肉(焼肉用カルビ)、肉(すきやき用霜降りロース)、りんご(大玉)、冷凍カニ、と立て続けに近所に住む高校の後輩、楽器修理のHトリ君から頂いているのである。とても有り難い。
滅多に食べないご馳走ばかりで、今月は少し体重が増えてしまった。 Hトリ君のせいである。
彼のお家は市場の中の用品屋さん。ご両親が営んでおられる。
ステキな大正マダムがターゲットのダウンタウン・ブティックである。
彼はお店の裏側を工房にして、何でもかんでも器用に直している。ギターから太鼓からバラライカからシタールからジャンベから、およそ名前もワカランような民族楽器まで何でも修理する。
太鼓政もびっくり。 中東の打楽器か弦楽器かワカランのなんて、どっからパーツ調達してくんねん。
バンド仲間のI本先輩のグレコの修理の出来にはビビッた。ぴかぴかのつるつるのマホガニー(?)のネックになって、フレットには綺麗な白蝶貝のポジションマークがカッチョよく貼られている。
葉加瀬太郎をカジュアルでワイルドにしたような(褒めている)Hトリ君の風体からは、
想像も出来ない繊細な仕事だ。
ゴト師や。あっ違った、仕事師や。
彼の周辺に年末から起こった難儀な出来事が、たまたま最近私が大学取材に行ったテーマとどうもぴったり重なりそうなことがわかり、いろいろとやりとりしている。早い話が認知症のハナシだ。
医科大でレビー小体型認知症の話を聞いてきたのだが、どうも、それっぽいのである。わからんけど。
しかしハナから見当違いの科に行かされたようで、医者が診断つけられなくて投薬で悪化してドツボにはまっている状態のようだ。もしもレビーやったら抗うつ薬はタブーだ。
そんな状態が続いたら、何より家族が大変だ。幸いにも彼はしっかり炊事もできるし、こういうことに逃げ出さないタイプの男だが…それはそれで彼の負担が大きくなる。
で、いろいろさらに調べて、どこへ連れて行ったらいいかとかやりとりしており、そんな中での美味しいモノ贈収賄キャンペーンなのである。
商売やってると食べ物は近所やお客さんからよく頂く。それが一時に集中したり、累積したりすると自家消費しきれないのは私もよく知っている。で、くださるのだが、それでもなんだか悪いので、名大へ行った帰りに風来坊の手羽先をお土産に買ってきた。
彼も私もアウトサイダー気質な部分があって、そこでなんとなく気が合うのかもしれない。
ブランドや名前をありがたがる人種が好きになれないのである。
まっちょっと彼が落ち着いたら近所の立ち飲みにでも一緒に行くべ。
その後はPOWWOWで彼が直した馬頭琴でも弾いてもらうぜ。あの店には、ながく行っていない。
滅多に食べないご馳走ばかりで、今月は少し体重が増えてしまった。 Hトリ君のせいである。
彼のお家は市場の中の用品屋さん。ご両親が営んでおられる。
ステキな大正マダムがターゲットのダウンタウン・ブティックである。
彼はお店の裏側を工房にして、何でもかんでも器用に直している。ギターから太鼓からバラライカからシタールからジャンベから、およそ名前もワカランような民族楽器まで何でも修理する。
太鼓政もびっくり。 中東の打楽器か弦楽器かワカランのなんて、どっからパーツ調達してくんねん。
バンド仲間のI本先輩のグレコの修理の出来にはビビッた。ぴかぴかのつるつるのマホガニー(?)のネックになって、フレットには綺麗な白蝶貝のポジションマークがカッチョよく貼られている。
葉加瀬太郎をカジュアルでワイルドにしたような(褒めている)Hトリ君の風体からは、
想像も出来ない繊細な仕事だ。
ゴト師や。あっ違った、仕事師や。
彼の周辺に年末から起こった難儀な出来事が、たまたま最近私が大学取材に行ったテーマとどうもぴったり重なりそうなことがわかり、いろいろとやりとりしている。早い話が認知症のハナシだ。
医科大でレビー小体型認知症の話を聞いてきたのだが、どうも、それっぽいのである。わからんけど。
しかしハナから見当違いの科に行かされたようで、医者が診断つけられなくて投薬で悪化してドツボにはまっている状態のようだ。もしもレビーやったら抗うつ薬はタブーだ。
そんな状態が続いたら、何より家族が大変だ。幸いにも彼はしっかり炊事もできるし、こういうことに逃げ出さないタイプの男だが…それはそれで彼の負担が大きくなる。
で、いろいろさらに調べて、どこへ連れて行ったらいいかとかやりとりしており、そんな中での美味しいモノ贈収賄キャンペーンなのである。
商売やってると食べ物は近所やお客さんからよく頂く。それが一時に集中したり、累積したりすると自家消費しきれないのは私もよく知っている。で、くださるのだが、それでもなんだか悪いので、名大へ行った帰りに風来坊の手羽先をお土産に買ってきた。
彼も私もアウトサイダー気質な部分があって、そこでなんとなく気が合うのかもしれない。
ブランドや名前をありがたがる人種が好きになれないのである。
まっちょっと彼が落ち着いたら近所の立ち飲みにでも一緒に行くべ。
その後はPOWWOWで彼が直した馬頭琴でも弾いてもらうぜ。あの店には、ながく行っていない。
2011年1月9日日曜日
Drums Workshop for Kids
まりりんに年末スタジオでドラムをさわらせ、簡単な8ビートを教えてもらって叩かせた。
リズム感はともかく、身体能力は結構あるほうなので、メロディアスな楽器よりパーカッションが向いているのかもしれない。スジはそんなに悪くはないんではない?と思っていたら、
ちょっとやってみたい、と抜かしおるので、プレゼントしてもらったスティックで、これもプレゼントのクリスマス編集DVDの中の“Last Christmas”が一番初めにはビートもテンポもよかろう、と思い、家でバースツールを2つ並べて練習させていた。
そんなことをしていると、ひょんなことから “no name”のドラマー、近田 和久氏とアゼリア大正でお会いし、2月に子供のためのドラムワークショップを開催することになった。
なんかよくわからんが、そういう話になった。
初めは氏がアゼリアでされているドラムレッスンの体験、という話でスタートしたのだが、なぜか話がいろいろ膨らんだという訳。ドラム2~3セットと、他のいろんなパーカッション、ギターもベースもエレピでも民族楽器でもなんでもアリね、ということだけど、スタジオの広さには限りがあるからやや小ぢんまりと仲間うちで、ってことね。
![]() |
やっぱり“Rock with You”の デビッド・ウィリアムスのイントロドラムだ! |
氏はまだ30代前半でお若いけれど、ドラムの裾野を広げたい想いがあるのだろう。
なんといってもフルセットのドラムスに触れる機会は、普通あんまりあるものではない。
まりりんの学校は最近フルセットを購入したらしいが、学校中の先生も生徒も誰一人叩ける人間がいない。もったいない話だ。まりりんが叩けるようになったら一人で毎日使え、と言ってある。もう卒業だが。
まりりんの同級生にビートルズ大好きな男の子がいて、エレキギターもちょっとさわるらしいが、
その子を誘ってやりたいけど、まりりんが言うにはお母さんがめっちゃキビシイらしくて
外にも出してくれないとか…
ふむ。誰を誘おうかな。こういうモンは親もノッてこれるタイプでないとアカンからなあ。
泉南に引っ越しちゃったまりりんの親友、心ちゃんのオカン(昔DJやってて故・加賀テツヤなんかと懇意だった)に声かけてみるべかな。彼女やったらガチだんべ。
でも、ちょっと彼女親子は遠すぎるなあ。
C.P.さん、お嬢さんと一緒に参加されませんか???
今のところ、近田氏の海外ライブの合間を縫って2月前半の週末を予定。
詳しい日時は参加希望者の都合をFixしてこれから詰める事になってます。昼間2hぐらい。
もしお知り合いの子供さんで参加したい方がいらっしゃれば、親子1組ぐらいはOKです。
あーでも、このシーズン、お仕事がえらいこっちゃの時期ですか…
no name のマイスペ ▽ http://www.myspace.com/noname.1000eyesrecords
2011年1月1日土曜日
2011年はジャンジャン横丁から
謹賀新年。知らん間に去年1年経ち、年が明けてしまいましたが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
今日は新今宮から新世界を通って一心寺、四天王寺のコースへ。
一心寺には母の骨仏があるので。四天王寺は出店目当てのまりりんのためのオマケ。
出るときはお天気がよかったのだが、どんどん曇って寒くなってきた。
しかし元旦からジャンジャン横丁とは…ま、ワタシらしいか。すごい人だったけど。
昔、お祖父さんが小さいワタシを連れて、よくここらへんに賭け将棋をしに来た。

お祖父さんが賭け将棋に興じている間は、ワタシは小銭をもらって、スマートボールをしに小走りで行く。
ちょっと遊んで勝ったら(お祖父さんがね)、帰りにグリル梵で“ビフカツ”で一杯。ワタシには、確かオムライスを頼んでくれていたと思う。ワタシは小学校3年で腎臓を患って長く入院するまで、とてもとても好き嫌いが激しくて食の
細い子で、会うたびごとに人に「なんて細い、色の青白い子やねえ」と言われていた。確かに、手と足は骨のようで、血管が薄い皮膚の下に透けて見えるような子供だった。
だからオムライスを到底ひとりでは食べ切れなかったと思うけど、老舗の洋食屋のそれはとても上等な味で、賭け将棋についてくるのが愉しみだった。

お祖父さんはビフカツをアテに美味しそうにくいくいとビールを飲んでいて、昔の洋食屋の店内が、気泡が現れては消える琥珀色のグラスの中に透けて見えて、小さいワタシには不思議で楽しい光景だった。
天王寺や新世界は、ワタシにとってはお祖父さんとよく一緒に来た
“素敵な繁華街”だ。
環状線の駅にはいっぱい鳩がいて、フェドーラ帽をかぶって着物の上からコートを羽織ったお祖父さんに手を引かれて、三ヶ日の阿倍野界隈へ繰り出す。寄席をのぞいて、デパートの食堂でアイスクリームをたべて。
そんな天王寺も、今また、大きく姿を変えようとしている。
近鉄がこの前建て代わったのって、そんなに昔じゃなかったでしょ?
その前の近鉄のマークがぼんやりと懐かしい。
なんだかあっという間に、ワタシの周りで15年ぐらいが経ってしまった。
※追記
調べたところ、今までの建物は建て替えられたのではなく、戦前からある旧館だったんですね。
1988年増床リニューアル。そんな昔か!(絶句)
今日は新今宮から新世界を通って一心寺、四天王寺のコースへ。
一心寺には母の骨仏があるので。四天王寺は出店目当てのまりりんのためのオマケ。
出るときはお天気がよかったのだが、どんどん曇って寒くなってきた。
しかし元旦からジャンジャン横丁とは…ま、ワタシらしいか。すごい人だったけど。
昔、お祖父さんが小さいワタシを連れて、よくここらへんに賭け将棋をしに来た。



細い子で、会うたびごとに人に「なんて細い、色の青白い子やねえ」と言われていた。確かに、手と足は骨のようで、血管が薄い皮膚の下に透けて見えるような子供だった。
だからオムライスを到底ひとりでは食べ切れなかったと思うけど、老舗の洋食屋のそれはとても上等な味で、賭け将棋についてくるのが愉しみだった。

お祖父さんはビフカツをアテに美味しそうにくいくいとビールを飲んでいて、昔の洋食屋の店内が、気泡が現れては消える琥珀色のグラスの中に透けて見えて、小さいワタシには不思議で楽しい光景だった。
天王寺や新世界は、ワタシにとってはお祖父さんとよく一緒に来た
“素敵な繁華街”だ。
環状線の駅にはいっぱい鳩がいて、フェドーラ帽をかぶって着物の上からコートを羽織ったお祖父さんに手を引かれて、三ヶ日の阿倍野界隈へ繰り出す。寄席をのぞいて、デパートの食堂でアイスクリームをたべて。
そんな天王寺も、今また、大きく姿を変えようとしている。
近鉄がこの前建て代わったのって、そんなに昔じゃなかったでしょ?
その前の近鉄のマークがぼんやりと懐かしい。
なんだかあっという間に、ワタシの周りで15年ぐらいが経ってしまった。
※追記
調べたところ、今までの建物は建て替えられたのではなく、戦前からある旧館だったんですね。
1988年増床リニューアル。そんな昔か!(絶句)
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