Markey's Osaka West "Oba-han"River-side Blues......

       ── ひらりひらひら きままな稼業 風に吹かれて 東へ西へ

2011年1月1日土曜日

2011年はジャンジャン横丁から

謹賀新年。知らん間に去年1年経ち、年が明けてしまいましたが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

今日は新今宮から新世界を通って一心寺、四天王寺のコースへ。
一心寺には母の骨仏があるので。四天王寺は出店目当てのまりりんのためのオマケ。

出るときはお天気がよかったのだが、どんどん曇って寒くなってきた。

しかし元旦からジャンジャン横丁とは…ま、ワタシらしいか。すごい人だったけど。

昔、お祖父さんが小さいワタシを連れて、よくここらへんに賭け将棋をしに来た。
お祖父さんが賭け将棋に興じている間は、ワタシは小銭をもらって、スマートボールをしに小走りで行く。



ちょっと遊んで勝ったら(お祖父さんがね)、帰りにグリル梵で“ビフカツ”で一杯。ワタシには、確かオムライスを頼んでくれていたと思う。ワタシは小学校3年で腎臓を患って長く入院するまで、とてもとても好き嫌いが激しくて食の




細い子で、会うたびごとに人に「なんて細い、色の青白い子やねえ」と言われていた。確かに、手と足は骨のようで、血管が薄い皮膚の下に透けて見えるような子供だった。

だからオムライスを到底ひとりでは食べ切れなかったと思うけど、老舗の洋食屋のそれはとても上等な味で、賭け将棋についてくるのが愉しみだった。



お祖父さんはビフカツをアテに美味しそうにくいくいとビールを飲んでいて、昔の洋食屋の店内が、気泡が現れては消える琥珀色のグラスの中に透けて見えて、小さいワタシには不思議で楽しい光景だった。

天王寺や新世界は、ワタシにとってはお祖父さんとよく一緒に来た
“素敵な繁華街”だ。
環状線の駅にはいっぱい鳩がいて、フェドーラ帽をかぶって着物の上からコートを羽織ったお祖父さんに手を引かれて、三ヶ日の阿倍野界隈へ繰り出す。寄席をのぞいて、デパートの食堂でアイスクリームをたべて。

そんな天王寺も、今また、大きく姿を変えようとしている。
近鉄がこの前建て代わったのって、そんなに昔じゃなかったでしょ?
その前の近鉄のマークがぼんやりと懐かしい。
なんだかあっという間に、ワタシの周りで15年ぐらいが経ってしまった。

※追記
調べたところ、今までの建物は建て替えられたのではなく、戦前からある旧館だったんですね。
1988年増床リニューアル。そんな昔か!(絶句)

2 件のコメント:

  1.  正月早々、ようこそわが町へ(笑)。
     新世界に住みついてかれこれ25年ほどになるけど、このあたりも大きく変わったものとあまり変わらないものが同居してます。
     僕も少し昔のこのあたりを思い出しました。

     そんな中、僕自身はほとんど変わらない現実が…。

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  2. クージーさん、ありがとうございます。
    新世界も鶴見橋商店街も好きなんです。
    ブログ拝見しております。お山も川も、いいですね。

    変わらないということは、とても希少なことだと思います。そして、強いことだと思います。

    写真集の件、成金さんからちらと見聞しています。
    カッコイイじゃないですか。楽しみです。
    またイベントや、どこかに現れる際はお教えください。
    いろんなお話、ゆっくりじっくりお聞きしたいです。

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