Markey's Osaka West "Oba-han"River-side Blues......

       ── ひらりひらひら きままな稼業 風に吹かれて 東へ西へ

2011年3月31日木曜日

チャリンコ放浪記

色川武大こと阿佐田哲也はすきな作家なのである。

所得税は先に思いっきり源泉徴収されており、還付申告の身の上ゆえ、ゆっくり構えていたがいつまでも抱えているわけにも行かず。支払いもあるのではよ返してもらわな、と夜を徹して青色決算書を作り、フラフラのよれよれで自転車に乗り、港税務署へ向かった。


おりしも陽春。肌寒いとはいえ、空気が春の匂い、ほこりっぽさを連れてくる。

毎年税務署へ行く頃に春の訪れを感じる。雪がちらつく花冷えの年もある。
私にとって税務署は春を告げる知らせ。なんだか嫌だわ。

で、ほぼ徹夜で酩酊状態の今日は、ひょっとしてひょっとすると、と思っていたが
自転車に乗っていて税務署の場所がわからなくなった。

高校の前を過ぎて、赤丸の前を過ぎて…どこで曲がるんやったっけー。ワカラン。
…と思う間に自転車は夕凪を過ぎて、そろそろ朝潮橋の風景も目に入る。

んー、いくらなんでも行き過ぎでしょう。どこやったっけ。
引き返して弁天町の方向へ戻るが、これまたどんどん高層マンションが眼前に迫ってくる。
おかしい。戻りすぎやん。

要するに朦朧として、徘徊しているのだ。こんなに家の近所で。
もうワシ、GPSつけてもらわなアカンお年頃なんかもしれん。

今日は独力センサーは使いもんにならん…表でゴミ袋を結んでいるオバチャンに税務署の場所を訊くと、親切に教えてくれた。
税務署はごくごく近かったけど、どうしてもたどりつけなかったのだ。

軽く凹んでヨロヨロ帰宅し、寝ようとすると走り回るぴん子にまた顔を踏まれた2011年税金の春。

2011年3月27日日曜日

手づくりピツァパーリィ

子どもが小さいときは時々やったのだ。
1枚2000円以上するデリバリーピザなんてとんでもねーとか言いながら、みんなまだちょっとは若くて体力があったので、イーストを使ってクラストからこねて伸ばして作る、作る、焼く、喰う、焼く。
体力勝負だ。
これは保育園のときの友人宅で。

トマトソースも根性で作る。
当然美味しいので、子どもたちの喰いつきが違う。食が細かったまりりんも、この喰いつき方。



ここのお母さんが嵯峨美出身で、私といつも二人で保育園の行事の絵を描いたりデコレーションをしたり、卒園時にはシーサーを二人で石膏から作ってブラシ吹いたりして塗装して大変だったのだ。
毎日遅くまで残って作業ズボンで看板屋状態でした。
だが二人いてよかったよ。

保育園では美術や音楽や写真ができる親は、そういう自分が好きなことやってれば保護者会のお役目はラクラクこなせるし、大したことしなくてもみんなに有り難がってもらえて一石二鳥なのだ。
なんせ保育園でやってることは通常ほぼ音楽と美術と、あと体育的なことと食べる的なことやもんなあ。あ、あと昼寝的なこと。

まあ、子どもが小学校へ上がればこの恩恵はほぼ消えるのであるが…

机は会議用だが…椅子はユーズドだね
このお母さんはアート系ご多分に漏れず何でも作る派で、保存食品もなんでもかんでも作ってた。
旦那さんはアンティーク家具の製作および修復工房を主宰していて、いろんな話が楽しいのでよくご一緒したなあ。
もう見た目もそのまんまな人だった。
ゴツイ四駆乗ってたし。
仲の良い暖かい美術工芸系ご夫婦で、こういうパターンは見ていても何よりだ。


で、卒園してしばらく経ってから、このお母さんが私と同じ高校だったことがわかった。
2年下だったのだ。在園時はそんな話しないから、わからんかったわ。

住之江の浄水場の近くに大きなお家兼工房があるので、久しぶりに遊びに行こうかなー。
夏場は蚊がすごいんやけど。

2011年3月21日月曜日

史上最大に長くて短い一週間

が、過ぎた。
あとで聞いてみると、大阪ではみんなそんなに大きな揺れは感じなかったといっていたけど、
私の家はよく揺れる構造で、いつもの前の道をトラックが通る揺れとは明らかに違っていて、それが体感では3分以上続いた。

渡り廊下に出るとめまいのような揺れ。食卓の上のペンダントは振り子のように大きく、長く揺れている。

仕事をしながら開けておいたツイッターは瞬時に揺れに驚くTLで埋め尽くされた。
私も、これはたぶん震源地では大事だ、と書いている。

土日に流れるニュースで、月曜の昼には精神的に苦しくなってきた。息苦しい、胸がしんどい、アカン。
PTSDの初期症状みたいだ、たぶん。被災地以外の人間がこうなってはいけない、と
つま先から恐怖が這い上がってくるような感じになった。
状況が心配だったが思い切ってニュースは全部切って、その夜のゴスペルの練習に出かけた。

音楽の力はよくしたもので、重く胸から喉を締め付けていた息苦しさは、帰りの自転車では和らいでいた。

2011年3月10日木曜日

まりりんライナー

「ヒトの名前勝手に使こて!」とお怒りになる
高松から帰ってきましたが、さすがに
今日はもう仕事をする気にならず…

出張先の現場の周辺には、うどん屋ぐらいしかロクに食べ物屋がないので、毎日昼はうどんになるのだ。
高松も繁華街には、結構な量の店が
集積してるのだが…
まりりんライナーの車窓から。美しい。





一度ぐらいはいろんなところをブラブラしてみたいもんであるが、
いつも荷物があるのと、クタクタに疲れているので、一目散に帰ってしまう。

栗林公園は行ってみたいのだが、毎回挫折だ。1時間や2時間では勿体ないし。
いつもお昼に食べる野口製麺のうどん。美味しい。

だが、ここのところは一泊して2日間のスケジュールなので、以前の日帰りよりはよっぽど体が楽である。

うどんを打ってもらって買って帰ります。
やっぱり片道2時間を越えると日帰りはしんどいな。

家から高松駅までは約3時間。随分早くなったものだと思う。

2011年3月5日土曜日

メバチコうどん

うどんバカ一代。店名はフザケているがエッジが効いてて美味しいのよ。
ゆうべから、下まぶたにメバチコができてきてだいぶ膨らんで、痛い…

昔から疲れると出るのだ。
弱いところに出てくるのかも。

ここんとこダラダラと仕事に追われ、遠出もあって切り替えができなくて精神的につかれている。
丸一日どっか行って過ごせたらいいのだが…今それをするとなあ…とも思うけど、こんなことならまりりんとどっかアウトドアへ行って一日思い切って遊ぶ方がマシかも。



まりりんも春から中学生で、あまり今までのようにほったらかしにもできないと思うし。
いや、今までのほったらかしも非常にアカンかったと思っているのですが。
もう手遅れかも知れん…ごめんな…
自分が小・中時代は別に親に言われなくても面白いと思ったら勝手に勉強する子どもだったので、子どもはみんなそうかと思っていたら大間違いであった。

さて、チンタラやってても効率は上がらず、焦ることばかりで んー しんどいべ。眼ぇ、いたいし。
来週の四国出張までに直ってくれたらええんやけど。
四国、朝は5時起きやし、2日間ずっと会議室缶詰めやからなあ…
いや、毎日毎日もっとキツイ状況で動いてはるヒトおるし、3ヶ月に1回のこれぐらいの出張で
文句ゆうてたらアカンなー。
四国いったら近くのうどん屋で美味しい讃岐うどんも食べられるし!
まりりんも好きやし、またちょっとお土産買ってこよ。そう思って楽しい出張。

火曜日から出発やから、月曜日に大事をとって眼医者に行くか…

2011年3月4日金曜日

雪のひな祭り

仕事をしていたら、窓の外にひらりひらりと紙のような雪が降りてきた。

今日はひな祭り。でもひな人形も出せてなかった。ごめんよー。
ひな人形といっても、お内裏様とお雛様の二人だけの木目込人形やねんけど…
私のは、母方のお祖父さんが買ってくれた段飾りが物置にしまってあるはずだが、今頃どうなってるか。
随分昔に箱の中で首が転がっているのを見たことがあるし…

こんな仕事をしていると、歳時などを楽しむ余裕というものがもてないのだ。
時間ですっぱり切れるような仕事を選んだほうがどれだけ楽だったんだろ。
いいや、生来のズボラだから、仕事時間内にずっと集中してないとダメなような職種は無理だ…

でもねえ。考えたり作ったりする仕事で私のように能力がないと、本当にしんどいわ。

次の人生では、余裕で歳時を楽しめるような計画を立てたいものだ。
余裕な奥様人生。いや、余裕なひとり人生、というのが最も理想的だ。