自分の思いを素直に伝えた言葉に、意に反して過敏な行動をされたとき、やっぱりつらいね。
いきなり薄い刃物で目前を掠められたように感じてしまった。
何もそこまで…と、かなりのショックを受けました。
言わなければよかったね、貴方に対する私の察しが悪かったんやね。
昨年の夏、ある人に言われたきつい言葉を思い出してしまった。
たぶんあれは、一生残るなあ…
とても安全な場所から見下ろした言葉だった。
それは真実ではあるけれど、やっぱり人間、言っていいことと悪いことがあると思うねん。
でも、同じことでも違う人が言えば、全然ニュアンスが違ったと思うわ。
これはなんでやろ?やっぱり根底のパーソナリティによるもんか?
たぶんそうやろな…
しばらく、どこかでなんか言うのは控えよ。しんどいわ。
Markey's Osaka West "Oba-han"River-side Blues......
─────── ひらりひらひら きままな稼業 風に吹かれて 東へ西へ
2011年5月7日土曜日
Her high school days, It was 60 years ago.

店主のおばちゃんは私の顔をまじまじ見ながら一瞬考え、そしてカーネーションをつけてくれたのだが… 前にレジをした子ども2人とお父さんのお客には、子どもに「家へ帰ったらお母さんに渡してね」と、カーネーションを1本ずつ渡していた。
私のお母ちゃんは34年前、私が高校に入ってちょうど1週間目の桜の散る頃に急逝した。ひと晩で。
44歳だった。
あまりにも若い、今から考えると。
どうしても、もうひとつ上の公立高校に私を入れたかったらしく、中学後半は鬼のように喧嘩をした。
私は入れないだろうと思っていたし、何より高校に入って勉強ばっかりで大変な思いをするのがイヤだというのが最大の理由だった。
いろんな友人や年上の人の影響でロックやピアフやソウルやらと音楽聴いたり、ギターやピアノを弾いたり、絵を描いたり、楽しいことを中学時代に覚えてしまっていたからである。
今はスリッパで私をドツキまくっていたお母ちゃんの気持ちがわかる。
自分が薬大(一浪)を出て結局は電器屋の嫁はんになって苦労したので、私には医療系、できれば女医になどと言う不遜な考えも持っていたようだ。そらムリやでお母ちゃん。
![]() |
新制高校開始時である |
独り暮らしで今も元気元気、足腰弱ったら入るところの準備も十分だ。
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ワタイより全然似てるよなあ |
最後まで人生をしゃぶりつくすのは、
やはり一部の女である。
でも、T女史はすべて自分の力で成し遂げてきたことなので、本当に偉いと思う。
当時は医者の世界でも、女医に対する風当たりは生半可なものではなかった筈だ。
お母ちゃんは常々、
「アンタはブサイクやから勉強して仕事ができるようになり」と言っていた。
顔から想像できるように、ものの言い方のヒドイ母親だ。
そういう生き方もバリバリにはまっとう出来ず、かといって違う方向のキャラにもなれず、
私は人生ウロウロしている間にどっちも中途半端になった。
ごめんなぁ。そやけど、お母ちゃんの言い方が大概悪かったんちゃうか?(笑)
とか言うたら、またスリッパ持って怒るわなあ。
2011年5月3日火曜日
ずっと夜明け前
GWはなんか、ずっと原稿書いてるんですが…
服やら書類やら片付けないとアカンもんがいっぱいあるんやけど、
常に目先のショボイ仕事に追われて手が回らない。
まりりんの勉強もいよいよ見てやらないとイカン。栄養も考えて、メシも作らないとアカン。
今朝も数学の宿題でひと悶着あったが、 ワシ、元々理系はできへんのにますますボケていて、
中1でもよ~ぉ読まんとホンマにわからんよ…(泣)
クージーさん、家庭教師してくれまへんか~?? (笑)
当のミーハーなまりりんさん、勉強の仕方がまだわかっとらんのやけど、「阪急電車」読みたいというので、まぁ流行もんやけど何でもええか…と読ませたら一日で読んでしもた。そら読みやすいもんねあんなん。
で、どっかで聞きかじってきた太宰を読みたいというので、それやったらこれはどや!と、最近何作かをまとめて編集しているものすごい分厚い文庫を与えたら何とか読んでるみたいやけど、まぁわからんやろなぁ。まあ濫読でもなんでもええか、読めへんよりマシやわ。
連休やからまりりんの友だちが来てクッキー作ると言ったら、面倒も見んとアカンし…
おちおち座って仕事もしてられへん…
というか、ちゃんとじっくり一緒にやったられへんのが悲しいわ。
大きな問題はもうずっと手付かずやし、改善する気配はないし、このままではホンマにイカンし。
まあ自分がトシいってきて、万事にトロくなっているのが本音であるが。
現時点でこの状況はほんまツラいのぉ~。はっきりいってもうどうでもエエと思っている自分がいる。
あ、雨が降ってきた。篭ってたらババくさい愚痴ばっかりでイカン。
今日は、家で仕事してて雨に逢わずによかったかもね、と思ってみよう。
とりあえず状況グッチャグチャでも、老化はあれど健康なのと寝る所があって、
今夜の食べ物があるだけでヨシとする。明日はわからんが。
服やら書類やら片付けないとアカンもんがいっぱいあるんやけど、
常に目先のショボイ仕事に追われて手が回らない。
まりりんの勉強もいよいよ見てやらないとイカン。栄養も考えて、メシも作らないとアカン。
今朝も数学の宿題でひと悶着あったが、 ワシ、元々理系はできへんのにますますボケていて、
中1でもよ~ぉ読まんとホンマにわからんよ…(泣)
クージーさん、家庭教師してくれまへんか~?? (笑)
当のミーハーなまりりんさん、勉強の仕方がまだわかっとらんのやけど、「阪急電車」読みたいというので、まぁ流行もんやけど何でもええか…と読ませたら一日で読んでしもた。そら読みやすいもんねあんなん。
で、どっかで聞きかじってきた太宰を読みたいというので、それやったらこれはどや!と、最近何作かをまとめて編集しているものすごい分厚い文庫を与えたら何とか読んでるみたいやけど、まぁわからんやろなぁ。まあ濫読でもなんでもええか、読めへんよりマシやわ。
連休やからまりりんの友だちが来てクッキー作ると言ったら、面倒も見んとアカンし…
おちおち座って仕事もしてられへん…
というか、ちゃんとじっくり一緒にやったられへんのが悲しいわ。
大きな問題はもうずっと手付かずやし、改善する気配はないし、このままではホンマにイカンし。
まあ自分がトシいってきて、万事にトロくなっているのが本音であるが。
現時点でこの状況はほんまツラいのぉ~。はっきりいってもうどうでもエエと思っている自分がいる。
あ、雨が降ってきた。篭ってたらババくさい愚痴ばっかりでイカン。
今日は、家で仕事してて雨に逢わずによかったかもね、と思ってみよう。
とりあえず状況グッチャグチャでも、老化はあれど健康なのと寝る所があって、
今夜の食べ物があるだけでヨシとする。明日はわからんが。
2011年4月29日金曜日
再会
南森町のはずれ、東天満の交差点近くにぽつん、とあるお好み焼き「てんご」。
関西スポーツDJの草分け、マーキー(今は“谷口”つけないみたい)の嫁さん、えりちゃんが営む店である。
どんな事情があるのかは知らないが、からだがもうしんどいのか不景気なのか、今月いっぱいで閉めるということで、昔のアメリカ村仲間が集まろうと声がかかった。スミさんがみんなに声をかけたらしい。えりちゃんは閉店後、東北にボランティアに行くと後で聞いた。スゴイ、やっぱりパワフルや。
まりりんを連れて、私は初めての訪問だ。
集まったのは繁さん、スミさん、とんぼちゃん、成金さん、 みっちゃん。それから、名前を知らない人2名。30年以上前、アメリカ村がまだ長閑な“北炭屋町”だった頃の面々だ。
三角公園のたこ焼き屋はまだ小さくて家族だけでやっていて、その横にはあの“エルパソ”があった。サーフショップは“ラハイナ”、“アワーハウス”、古着は“My Way”。リーバイスとコンバースとヘインズ。初めは、この町にもそれぐらいのモノしかなかった。
繁さんは今でも長堀でレッドウィングの修理の店をやっている。昔からワークブーツ大好きだったが、ホントに好きなのだ。病気をしたという とんぼちゃんがそう呆れたように笑う。
店によく連れてきていた赤ちゃんのクーニンがもう30歳で、茂さんと一緒に店を切り盛りしているという。おっさんになったもんだ、時間の経過が恐ろしい。
表で飲んでいると、タクシーが止まって帽子の男性が降りてきた。マーキー氏が来た。
病気でラジオも休んでいたようで、ちょっとだけ立ち寄った、とのこと。彼だけはあまり流れた時間を感じさせないルックスだ。流石芸能人。
でも、昔のキリキリ尖った雰囲気がなくなって、シャープだけど静かな空気をまとってた。
ピレネーの松太郎には初めて逢ったけど、大人しくて深遠な犬だった。
みんなに平等に時間は流れた。あの頃はいろんな人が変わりばんこに順列組み合わせのように喧嘩して、悪口を言って、時々殴り合いもして大騒ぎになって、でも、みんな若くて不安な未来を持っていて、まちの進む道さえわからないアメリカ村で、いろんな夢を描いてた。
私はまだ学生で、隅っこのアルバイトだったんだけど。みんながすごくパワフルで、毎日何か新しいことが起きて、海の向こうからやってくるいろんなモノや情報は、グリッターのようにキラキラ光ってた。
表の席でご機嫌になったスミさんが店のお客の若い女の子に、その頃の話を熱心にしていたが…
結構面白そうに聴いてたねえ、あの子たち。好々爺の昔話だが、今の時代より確実に夢のある話だもんね。
あと何回位集まれるんだろう。あのヒトと、あの人にも逢いたいね。
今日は501よう売れた!店が終わったら、チビラも大人コウジも子どもコウジも皆で百番行くで~!!マーキーとこに誰かおったら誘おうか。あっ、さっき、タンクも放送局の打ち合わせ終わって来たんちゃう?って、懐かしいね。田垣さんとこまたヘンなもんフランスから仕入れたみたいやな。
もうちょっと飲みたくなったら、あとで3人だけで、吉田バーいこか。
そうそう、クージーさん。またどっか行ってはったんですか、顔真っ黒けですやん。いやどこどこ行ったら病気物凄い流行ってたんやけど、俺は何でか知らんけどならんかったわ、とかいろいろ言うたり、してましたね。
あの、三ッ寺にあった昔っぽい飲み屋の名前、なんでしたっけ?みんなよく行ってた。
ネットも携帯もデジタル機器もなかったけれど、入れ替わり立ち代りいろんな人がやってきて、逢って、話して、思いついたことやってみて。面白くて楽しくて、それだけで毎日が過ぎていた。
私もこの町に、この店にいたことがその後に大きく関わるのだけど、残念ながらあまり結果はよくならなかった、今のところは。これはちょっと笑うしかないけど、昨日逢った人たちにまた、少しずつ、いろいろ話してみようかな。 いや、この場所に居た人たちなら、いきなりな話をしてもきっと言わない何十年かの中味を察してくれることだろう。
関西スポーツDJの草分け、マーキー(今は“谷口”つけないみたい)の嫁さん、えりちゃんが営む店である。
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DJブースがある店内 |
どんな事情があるのかは知らないが、からだがもうしんどいのか不景気なのか、今月いっぱいで閉めるということで、昔のアメリカ村仲間が集まろうと声がかかった。スミさんがみんなに声をかけたらしい。えりちゃんは閉店後、東北にボランティアに行くと後で聞いた。スゴイ、やっぱりパワフルや。
まりりんを連れて、私は初めての訪問だ。
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金さん、絶好調でした |
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師匠登場したけど、まだ病み上がりで調子悪いとのこと |
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松太郎、ほんまにデカい… |
繁さんは今でも長堀でレッドウィングの修理の店をやっている。昔からワークブーツ大好きだったが、ホントに好きなのだ。病気をしたという とんぼちゃんがそう呆れたように笑う。
店によく連れてきていた赤ちゃんのクーニンがもう30歳で、茂さんと一緒に店を切り盛りしているという。おっさんになったもんだ、時間の経過が恐ろしい。
表で飲んでいると、タクシーが止まって帽子の男性が降りてきた。マーキー氏が来た。
病気でラジオも休んでいたようで、ちょっとだけ立ち寄った、とのこと。彼だけはあまり流れた時間を感じさせないルックスだ。流石芸能人。
でも、昔のキリキリ尖った雰囲気がなくなって、シャープだけど静かな空気をまとってた。
ピレネーの松太郎には初めて逢ったけど、大人しくて深遠な犬だった。
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スミさんのジャージ…60前のオッサンです… |
みんなに平等に時間は流れた。あの頃はいろんな人が変わりばんこに順列組み合わせのように喧嘩して、悪口を言って、時々殴り合いもして大騒ぎになって、でも、みんな若くて不安な未来を持っていて、まちの進む道さえわからないアメリカ村で、いろんな夢を描いてた。
私はまだ学生で、隅っこのアルバイトだったんだけど。みんながすごくパワフルで、毎日何か新しいことが起きて、海の向こうからやってくるいろんなモノや情報は、グリッターのようにキラキラ光ってた。
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左のお二人、どなたでしたっけ??? |
表の席でご機嫌になったスミさんが店のお客の若い女の子に、その頃の話を熱心にしていたが…
結構面白そうに聴いてたねえ、あの子たち。好々爺の昔話だが、今の時代より確実に夢のある話だもんね。
あと何回位集まれるんだろう。あのヒトと、あの人にも逢いたいね。
今日は501よう売れた!店が終わったら、チビラも大人コウジも子どもコウジも皆で百番行くで~!!マーキーとこに誰かおったら誘おうか。あっ、さっき、タンクも放送局の打ち合わせ終わって来たんちゃう?って、懐かしいね。田垣さんとこまたヘンなもんフランスから仕入れたみたいやな。
もうちょっと飲みたくなったら、あとで3人だけで、吉田バーいこか。
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とんぼちゃんは娘がほしかったそう |
あの、三ッ寺にあった昔っぽい飲み屋の名前、なんでしたっけ?みんなよく行ってた。
ネットも携帯もデジタル機器もなかったけれど、入れ替わり立ち代りいろんな人がやってきて、逢って、話して、思いついたことやってみて。面白くて楽しくて、それだけで毎日が過ぎていた。
私もこの町に、この店にいたことがその後に大きく関わるのだけど、残念ながらあまり結果はよくならなかった、今のところは。これはちょっと笑うしかないけど、昨日逢った人たちにまた、少しずつ、いろいろ話してみようかな。 いや、この場所に居た人たちなら、いきなりな話をしてもきっと言わない何十年かの中味を察してくれることだろう。
2011年4月24日日曜日
'70sはもう、見えなくなる彼方へ
出張先の姫路。お友達もできて楽しかったおでん屋から帰り、ホテルで大浴場に貸し切り状態で入り、低アルコールのビールをプシュと開けながら上機嫌でTVをつけると…キャンディーズのスーちゃんの訃報?え?
ある年代以上の人間には誰もがそうだったろうけど、あまりに唐突な報道で…
ああ、でも55歳か。何があっても全然おかしくない。 でもちょっと早いな。
昨日の金曜の夜は、全国の飲み屋でオッサン連中が追悼の盃を重ねていただろう。
で、今夜の土曜の夜は、独りで動画を観たり、レコードを引っ張り出して聴いて涙の深酒になる、という様子が目に見えるようである。
Youtubeがポピュラーになってから、キャンディーズ然り、トシちゃん然り、改めて70~80年代のアイドルを動画でちゃんと見る機会を得たのだけど、なんと今に比べてトータルのレベルの高いことか。
キャンディーズはデビュー曲はまだしも、その後がパッとしなかったのだが、ランちゃんがセンターに来た例の「年下の男の子」でブレイクする。
いろんなヒット曲をYoutubeで見たけど、 「年下の男の子」はデキシーランド・ジャズ調、「やさしい悪魔」「アン・ドゥ・トロワ」はいわずと知れた拓郎の作品。「わな」はラテン、「その気にさせないで」はスリー・ディグリーズ風歌謡ソウル。いろんな試みしてたんやなあ、改めて聴くと。
キャンディーズには、こういう実験的な試みを受け入れて消化する能力が必要だったし、またあったのだろう。
全方位的に管理プロデュースされて、その設計図の中で求められるアクトのみをこなす今のアイドルとは技量が違うな。
その当時はそんなこと、全然気づかなかったんやけど。
私たちが若かったとき、親の世代の懐メロを聴いて「カッコイイ!凄い!」とは思わなかったけど、平成生まれの子たちはYoutubeみて、昭和のアイドルやスターに驚いて嵌るパターン、多いみたいやね。
今の音楽業界はやっぱり大変だ。
メディアが多様化してしまった上に、こうやって「過去」が恐ろしく力のある競合になってしまったのだから。
ある年代以上の人間には誰もがそうだったろうけど、あまりに唐突な報道で…
ああ、でも55歳か。何があっても全然おかしくない。 でもちょっと早いな。
昨日の金曜の夜は、全国の飲み屋でオッサン連中が追悼の盃を重ねていただろう。
で、今夜の土曜の夜は、独りで動画を観たり、レコードを引っ張り出して聴いて涙の深酒になる、という様子が目に見えるようである。
Youtubeがポピュラーになってから、キャンディーズ然り、トシちゃん然り、改めて70~80年代のアイドルを動画でちゃんと見る機会を得たのだけど、なんと今に比べてトータルのレベルの高いことか。
キャンディーズはデビュー曲はまだしも、その後がパッとしなかったのだが、ランちゃんがセンターに来た例の「年下の男の子」でブレイクする。
いろんなヒット曲をYoutubeで見たけど、 「年下の男の子」はデキシーランド・ジャズ調、「やさしい悪魔」「アン・ドゥ・トロワ」はいわずと知れた拓郎の作品。「わな」はラテン、「その気にさせないで」はスリー・ディグリーズ風歌謡ソウル。いろんな試みしてたんやなあ、改めて聴くと。
キャンディーズには、こういう実験的な試みを受け入れて消化する能力が必要だったし、またあったのだろう。
全方位的に管理プロデュースされて、その設計図の中で求められるアクトのみをこなす今のアイドルとは技量が違うな。
その当時はそんなこと、全然気づかなかったんやけど。
私たちが若かったとき、親の世代の懐メロを聴いて「カッコイイ!凄い!」とは思わなかったけど、平成生まれの子たちはYoutubeみて、昭和のアイドルやスターに驚いて嵌るパターン、多いみたいやね。
今の音楽業界はやっぱり大変だ。
メディアが多様化してしまった上に、こうやって「過去」が恐ろしく力のある競合になってしまったのだから。
2011年4月13日水曜日
高津神社とウクレレ
高津神社、何年かぶりにお花見にいったんやけど、今年は出店自粛でぼんぼりもなく空間のイメージがまるっきり違っていた。
いつもは出店に仕切られて、空間自体がもうちょっとクローズドな感じだったのだが、いやにオープンなのだ。
ちょっと面食らいながらも、大川べりのようにそうそう遠くからは人が来ない場所なので、休日でもまったりと楽しめてお気に入りの花見処だ。
まあ、周りの環境は生玉近辺やし、アレやねんけども…
ちいさいときから、日本橋一丁目(住所は高津だった)に住む叔母に連れられ、
よくここの神社の夏祭りや盆踊りに来た。
叔母は昔で言う東櫓町(今は場外馬券売り場?)で長年続くバーを営んでいたので、
ここらへんの色町の事情には詳しかった。
高津神社の盆踊りは浴衣姿のキレイなオカマや不細工なオカマが大勢集まり、思い思いに踊りを楽しんでいて、ちいさな私は可愛がられていろんなオカマに飴細工を買ってもらったり、
一緒に金魚すくいや射的をしてもらった。
射的なんかになると、オカマは完全に素のオッサンやったな…
潤子叔母は、白い艶のある浴衣に菖蒲の裾模様で、
きり、として境内のアセチレンの灯りの中で綺麗やったね。
もともと芸事が好きで宝塚の男役にもなりたいと思っていたらしい、整った男顔の人やった。
泉尾女学校時代の写真も、凛々しい「お姉さま」という雰囲気だ。
この叔母の旦那(正確には結婚していないが)が、ずっとオアフに住んでいたのでした。
潤子叔母、生涯男運はよくなかったねぇ。その代わり好きなように生きたけど。
まぁあの頃やから相当良い時代もあった訳で、最後はムチャクチャで物凄い振れ幅やったけど、
結局はイーブンかな。そやけど結局同じ平均律でも、あんな激しい乱高下はしんどいな…
で、30年以上前の高校時代にオアフの義理叔父の元を初めて訪ねたワタシは、
今ちょいとその頃を思い出しながら、ウクレレを弾きたいと思っているのです。
いつもは出店に仕切られて、空間自体がもうちょっとクローズドな感じだったのだが、いやにオープンなのだ。
ちょっと面食らいながらも、大川べりのようにそうそう遠くからは人が来ない場所なので、休日でもまったりと楽しめてお気に入りの花見処だ。
まあ、周りの環境は生玉近辺やし、アレやねんけども…
ちいさいときから、日本橋一丁目(住所は高津だった)に住む叔母に連れられ、
よくここの神社の夏祭りや盆踊りに来た。
叔母は昔で言う東櫓町(今は場外馬券売り場?)で長年続くバーを営んでいたので、
ここらへんの色町の事情には詳しかった。
高津神社の盆踊りは浴衣姿のキレイなオカマや不細工なオカマが大勢集まり、思い思いに踊りを楽しんでいて、ちいさな私は可愛がられていろんなオカマに飴細工を買ってもらったり、
一緒に金魚すくいや射的をしてもらった。
射的なんかになると、オカマは完全に素のオッサンやったな…
潤子叔母は、白い艶のある浴衣に菖蒲の裾模様で、
きり、として境内のアセチレンの灯りの中で綺麗やったね。
もともと芸事が好きで宝塚の男役にもなりたいと思っていたらしい、整った男顔の人やった。
泉尾女学校時代の写真も、凛々しい「お姉さま」という雰囲気だ。
この叔母の旦那(正確には結婚していないが)が、ずっとオアフに住んでいたのでした。
潤子叔母、生涯男運はよくなかったねぇ。その代わり好きなように生きたけど。
まぁあの頃やから相当良い時代もあった訳で、最後はムチャクチャで物凄い振れ幅やったけど、
結局はイーブンかな。そやけど結局同じ平均律でも、あんな激しい乱高下はしんどいな…
で、30年以上前の高校時代にオアフの義理叔父の元を初めて訪ねたワタシは、
今ちょいとその頃を思い出しながら、ウクレレを弾きたいと思っているのです。
2011年4月9日土曜日
オイルサーディン試作品
地元のスーパーに、とびきり新鮮ではないが小羽イワシがあったので
昔によく作っていたオイルサーディンをまた製造しようと思い立ち。
もらいもののオリーブオイルと岩塩のセット(おろさないと使えないので、消費しづらい。うちイタリア料理屋やスペイン料理屋ちゃうし…)が大量にあるのでそれも使いたいし…
塩漬けにした段階でフラフラと出歩いていたので、塩がキツくなってしまった。
レシピ覚書にしとこ。
キャベツや菜の花とパスタにして、この季節冷えた白ワインで至福です。冷酒にも意外と合うかも。
【自家製オイルサーディン】
◇下処理
いわしは頭、内臓、うろこを除き水洗いをする
(大きいいわしは3枚におろし腹骨を除く)。
いわしが全部浸る量の塩水(10%ぐらい)に2時間漬ける。
→●これでは塩辛かったので、30分漬ける位か、塩水を水200ccに塩10g(5%)ぐらいでいいと思う。
昔によく作っていたオイルサーディンをまた製造しようと思い立ち。
もらいもののオリーブオイルと岩塩のセット(おろさないと使えないので、消費しづらい。うちイタリア料理屋やスペイン料理屋ちゃうし…)が大量にあるのでそれも使いたいし…
塩漬けにした段階でフラフラと出歩いていたので、塩がキツくなってしまった。
レシピ覚書にしとこ。
キャベツや菜の花とパスタにして、この季節冷えた白ワインで至福です。冷酒にも意外と合うかも。

◇下処理
いわしは頭、内臓、うろこを除き水洗いをする
(大きいいわしは3枚におろし腹骨を除く)。
いわしが全部浸る量の塩水(10%ぐらい)に2時間漬ける。
→●これでは塩辛かったので、30分漬ける位か、塩水を水200ccに塩10g(5%)ぐらいでいいと思う。
- 鍋に水気を除いたいわしを並べ、にんにくのうす切り、粒こしょう、種を除いて輪切りにした唐辛子、ローズマリー・ローリエなどハーブを加える。上からいわし全体にかぶる量のオリーブオイルを注ぐ。
- 弱火で10分煮る(いわしがおどらないように注意)。またはシャトルシェフで20~30分放置。
- さめたらオイルごとビンに入れ冷蔵庫で保存する。
2011年4月7日木曜日
堀江の辺のボルゾイ
南森町での打ち合わせを早々に切り上げ、大川沿いへ自転車を駆ってレッツラゴー!
桜ノ宮まで行ってしまった…
帰りは大阪城公園を横目に、適当なルートで南西へ戻ってきたのだが、堀江あたりでボルゾイに会った。
前から時々見かけたのよね~スーパー玉出の近くで。
東京にはヤタラとこういう犬がいるが…アフガンハウンドとか、ジャイアント・シュナウザーとか、フツーに散歩させてるもんね。
流石に大阪ではあんまり見ないわねえ。
大学の友人で、シャネル東京本社に居てベイエリアのたっかいマンションで一人優雅に暮らしている悪いY子が、「ボルゾイ飼いたいのよね~気品あんじゃん♪」とか抜かしおってて、
「ひとりであんなイヌどうやって飼うねん!お前は王族か!」と突っ込んでいた頃が懐かしいわ。
でも、Y子、えらいよなあ。英語もフランス語もぜんっぜんでけへん状態から現在に至る。
やっぱり相当根性あるで。
トシ、何十年も前からずーーーーーーっとサバ読んで、相当悪いことしてるけど。
桜ノ宮まで行ってしまった…
帰りは大阪城公園を横目に、適当なルートで南西へ戻ってきたのだが、堀江あたりでボルゾイに会った。
前から時々見かけたのよね~スーパー玉出の近くで。
東京にはヤタラとこういう犬がいるが…アフガンハウンドとか、ジャイアント・シュナウザーとか、フツーに散歩させてるもんね。
流石に大阪ではあんまり見ないわねえ。
大学の友人で、シャネル東京本社に居てベイエリアのたっかいマンションで一人優雅に暮らしている悪いY子が、「ボルゾイ飼いたいのよね~気品あんじゃん♪」とか抜かしおってて、
「ひとりであんなイヌどうやって飼うねん!お前は王族か!」と突っ込んでいた頃が懐かしいわ。
でも、Y子、えらいよなあ。英語もフランス語もぜんっぜんでけへん状態から現在に至る。
やっぱり相当根性あるで。
トシ、何十年も前からずーーーーーーっとサバ読んで、相当悪いことしてるけど。
2011年4月4日月曜日
すやすや、おやすみ
しらん間に、まりりんがぴん子に枕を縫っていた。裁縫は私はすでに抜かれてしまったと思う。
気がついてみると、フエルトで縫ったチマチマしたケーキなんかがゴロゴロしている。
まあ、いい。自分が不得意なことをまりりんが得意になってくれれば助かるのだ。
でもねー、なんかこの図、妙な感じしない?今日びのイヌってこんなんなんかなー。
まあ、昔はやらせなかっただけか…
すやすやと気に入って寝ている様子なので、快適なんでしょうね。人間と同じなんだね。
まりりん、ねじにも作ってあげようかって言ってるよ。
だいぶサイズアップしないとね。
気がついてみると、フエルトで縫ったチマチマしたケーキなんかがゴロゴロしている。
まあ、いい。自分が不得意なことをまりりんが得意になってくれれば助かるのだ。
でもねー、なんかこの図、妙な感じしない?今日びのイヌってこんなんなんかなー。
まあ、昔はやらせなかっただけか…
すやすやと気に入って寝ている様子なので、快適なんでしょうね。人間と同じなんだね。
まりりん、ねじにも作ってあげようかって言ってるよ。
だいぶサイズアップしないとね。
2011年4月2日土曜日
夜の空気は止まるけど
まりりんも、イヌも、お友達もみんな寝た春の宵。
今夜はモニタの向こうにも誰の気配もない。
週末はそれぞれがそれぞれの場所へ迷い込み、あたりはしんと静かになって、
ひとりでぽつりぽつりとタイプする音だけが、深夜の部屋を震わせる。
夜の空気は止まるけど、それでも時間は止まらない。
今夜はモニタの向こうにも誰の気配もない。
週末はそれぞれがそれぞれの場所へ迷い込み、あたりはしんと静かになって、
ひとりでぽつりぽつりとタイプする音だけが、深夜の部屋を震わせる。
夜の空気は止まるけど、それでも時間は止まらない。
2011年3月31日木曜日
チャリンコ放浪記
色川武大こと阿佐田哲也はすきな作家なのである。
所得税は先に思いっきり源泉徴収されており、還付申告の身の上ゆえ、ゆっくり構えていたがいつまでも抱えているわけにも行かず。支払いもあるのではよ返してもらわな、と夜を徹して青色決算書を作り、フラフラのよれよれで自転車に乗り、港税務署へ向かった。
おりしも陽春。肌寒いとはいえ、空気が春の匂い、ほこりっぽさを連れてくる。
毎年税務署へ行く頃に春の訪れを感じる。雪がちらつく花冷えの年もある。
私にとって税務署は春を告げる知らせ。なんだか嫌だわ。
で、ほぼ徹夜で酩酊状態の今日は、ひょっとしてひょっとすると、と思っていたが
自転車に乗っていて税務署の場所がわからなくなった。
高校の前を過ぎて、赤丸の前を過ぎて…どこで曲がるんやったっけー。ワカラン。
…と思う間に自転車は夕凪を過ぎて、そろそろ朝潮橋の風景も目に入る。
んー、いくらなんでも行き過ぎでしょう。どこやったっけ。
引き返して弁天町の方向へ戻るが、これまたどんどん高層マンションが眼前に迫ってくる。
おかしい。戻りすぎやん。
要するに朦朧として、徘徊しているのだ。こんなに家の近所で。
もうワシ、GPSつけてもらわなアカンお年頃なんかもしれん。
今日は独力センサーは使いもんにならん…表でゴミ袋を結んでいるオバチャンに税務署の場所を訊くと、親切に教えてくれた。
税務署はごくごく近かったけど、どうしてもたどりつけなかったのだ。
軽く凹んでヨロヨロ帰宅し、寝ようとすると走り回るぴん子にまた顔を踏まれた2011年税金の春。
所得税は先に思いっきり源泉徴収されており、還付申告の身の上ゆえ、ゆっくり構えていたがいつまでも抱えているわけにも行かず。支払いもあるのではよ返してもらわな、と夜を徹して青色決算書を作り、フラフラのよれよれで自転車に乗り、港税務署へ向かった。
おりしも陽春。肌寒いとはいえ、空気が春の匂い、ほこりっぽさを連れてくる。
毎年税務署へ行く頃に春の訪れを感じる。雪がちらつく花冷えの年もある。
私にとって税務署は春を告げる知らせ。なんだか嫌だわ。
で、ほぼ徹夜で酩酊状態の今日は、ひょっとしてひょっとすると、と思っていたが
自転車に乗っていて税務署の場所がわからなくなった。
高校の前を過ぎて、赤丸の前を過ぎて…どこで曲がるんやったっけー。ワカラン。
…と思う間に自転車は夕凪を過ぎて、そろそろ朝潮橋の風景も目に入る。
んー、いくらなんでも行き過ぎでしょう。どこやったっけ。
引き返して弁天町の方向へ戻るが、これまたどんどん高層マンションが眼前に迫ってくる。
おかしい。戻りすぎやん。
要するに朦朧として、徘徊しているのだ。こんなに家の近所で。
もうワシ、GPSつけてもらわなアカンお年頃なんかもしれん。
今日は独力センサーは使いもんにならん…表でゴミ袋を結んでいるオバチャンに税務署の場所を訊くと、親切に教えてくれた。
税務署はごくごく近かったけど、どうしてもたどりつけなかったのだ。
軽く凹んでヨロヨロ帰宅し、寝ようとすると走り回るぴん子にまた顔を踏まれた2011年税金の春。
2011年3月27日日曜日
手づくりピツァパーリィ
子どもが小さいときは時々やったのだ。
1枚2000円以上するデリバリーピザなんてとんでもねーとか言いながら、みんなまだちょっとは若くて体力があったので、イーストを使ってクラストからこねて伸ばして作る、作る、焼く、喰う、焼く。
体力勝負だ。
これは保育園のときの友人宅で。
トマトソースも根性で作る。
当然美味しいので、子どもたちの喰いつきが違う。食が細かったまりりんも、この喰いつき方。
ここのお母さんが嵯峨美出身で、私といつも二人で保育園の行事の絵を描いたりデコレーションをしたり、卒園時にはシーサーを二人で石膏から作ってブラシ吹いたりして塗装して大変だったのだ。
毎日遅くまで残って作業ズボンで看板屋状態でした。
だが二人いてよかったよ。
保育園では美術や音楽や写真ができる親は、そういう自分が好きなことやってれば保護者会のお役目はラクラクこなせるし、大したことしなくてもみんなに有り難がってもらえて一石二鳥なのだ。
なんせ保育園でやってることは通常ほぼ音楽と美術と、あと体育的なことと食べる的なことやもんなあ。あ、あと昼寝的なこと。
まあ、子どもが小学校へ上がればこの恩恵はほぼ消えるのであるが…
このお母さんはアート系ご多分に漏れず何でも作る派で、保存食品もなんでもかんでも作ってた。
旦那さんはアンティーク家具の製作および修復工房を主宰していて、いろんな話が楽しいのでよくご一緒したなあ。
もう見た目もそのまんまな人だった。
ゴツイ四駆乗ってたし。
仲の良い暖かい美術工芸系ご夫婦で、こういうパターンは見ていても何よりだ。
で、卒園してしばらく経ってから、このお母さんが私と同じ高校だったことがわかった。
2年下だったのだ。在園時はそんな話しないから、わからんかったわ。
住之江の浄水場の近くに大きなお家兼工房があるので、久しぶりに遊びに行こうかなー。
夏場は蚊がすごいんやけど。
1枚2000円以上するデリバリーピザなんてとんでもねーとか言いながら、みんなまだちょっとは若くて体力があったので、イーストを使ってクラストからこねて伸ばして作る、作る、焼く、喰う、焼く。
体力勝負だ。
これは保育園のときの友人宅で。
トマトソースも根性で作る。
当然美味しいので、子どもたちの喰いつきが違う。食が細かったまりりんも、この喰いつき方。
ここのお母さんが嵯峨美出身で、私といつも二人で保育園の行事の絵を描いたりデコレーションをしたり、卒園時にはシーサーを二人で石膏から作ってブラシ吹いたりして塗装して大変だったのだ。

だが二人いてよかったよ。
保育園では美術や音楽や写真ができる親は、そういう自分が好きなことやってれば保護者会のお役目はラクラクこなせるし、大したことしなくてもみんなに有り難がってもらえて一石二鳥なのだ。
なんせ保育園でやってることは通常ほぼ音楽と美術と、あと体育的なことと食べる的なことやもんなあ。あ、あと昼寝的なこと。
まあ、子どもが小学校へ上がればこの恩恵はほぼ消えるのであるが…
![]() |
机は会議用だが…椅子はユーズドだね |
旦那さんはアンティーク家具の製作および修復工房を主宰していて、いろんな話が楽しいのでよくご一緒したなあ。
もう見た目もそのまんまな人だった。
ゴツイ四駆乗ってたし。
仲の良い暖かい美術工芸系ご夫婦で、こういうパターンは見ていても何よりだ。
で、卒園してしばらく経ってから、このお母さんが私と同じ高校だったことがわかった。
2年下だったのだ。在園時はそんな話しないから、わからんかったわ。
住之江の浄水場の近くに大きなお家兼工房があるので、久しぶりに遊びに行こうかなー。
夏場は蚊がすごいんやけど。
2011年3月21日月曜日
史上最大に長くて短い一週間
が、過ぎた。
あとで聞いてみると、大阪ではみんなそんなに大きな揺れは感じなかったといっていたけど、
私の家はよく揺れる構造で、いつもの前の道をトラックが通る揺れとは明らかに違っていて、それが体感では3分以上続いた。
渡り廊下に出るとめまいのような揺れ。食卓の上のペンダントは振り子のように大きく、長く揺れている。
仕事をしながら開けておいたツイッターは瞬時に揺れに驚くTLで埋め尽くされた。
私も、これはたぶん震源地では大事だ、と書いている。
土日に流れるニュースで、月曜の昼には精神的に苦しくなってきた。息苦しい、胸がしんどい、アカン。
PTSDの初期症状みたいだ、たぶん。被災地以外の人間がこうなってはいけない、と
つま先から恐怖が這い上がってくるような感じになった。
状況が心配だったが思い切ってニュースは全部切って、その夜のゴスペルの練習に出かけた。
音楽の力はよくしたもので、重く胸から喉を締め付けていた息苦しさは、帰りの自転車では和らいでいた。
あとで聞いてみると、大阪ではみんなそんなに大きな揺れは感じなかったといっていたけど、
私の家はよく揺れる構造で、いつもの前の道をトラックが通る揺れとは明らかに違っていて、それが体感では3分以上続いた。
渡り廊下に出るとめまいのような揺れ。食卓の上のペンダントは振り子のように大きく、長く揺れている。
仕事をしながら開けておいたツイッターは瞬時に揺れに驚くTLで埋め尽くされた。
私も、これはたぶん震源地では大事だ、と書いている。
土日に流れるニュースで、月曜の昼には精神的に苦しくなってきた。息苦しい、胸がしんどい、アカン。
PTSDの初期症状みたいだ、たぶん。被災地以外の人間がこうなってはいけない、と
つま先から恐怖が這い上がってくるような感じになった。
状況が心配だったが思い切ってニュースは全部切って、その夜のゴスペルの練習に出かけた。
音楽の力はよくしたもので、重く胸から喉を締め付けていた息苦しさは、帰りの自転車では和らいでいた。
2011年3月10日木曜日
まりりんライナー
![]() |
「ヒトの名前勝手に使こて!」とお怒りになる |
今日はもう仕事をする気にならず…
出張先の現場の周辺には、うどん屋ぐらいしかロクに食べ物屋がないので、毎日昼はうどんになるのだ。
高松も繁華街には、結構な量の店が
集積してるのだが…
![]() |
まりりんライナーの車窓から。美しい。 |
一度ぐらいはいろんなところをブラブラしてみたいもんであるが、
いつも荷物があるのと、クタクタに疲れているので、一目散に帰ってしまう。
栗林公園は行ってみたいのだが、毎回挫折だ。1時間や2時間では勿体ないし。
![]() |
いつもお昼に食べる野口製麺のうどん。美味しい。 |

だが、ここのところは一泊して2日間のスケジュールなので、以前の日帰りよりはよっぽど体が楽である。
うどんを打ってもらって買って帰ります。 |
家から高松駅までは約3時間。随分早くなったものだと思う。
2011年3月5日土曜日
メバチコうどん
うどんバカ一代。店名はフザケているがエッジが効いてて美味しいのよ。 |
昔から疲れると出るのだ。
弱いところに出てくるのかも。
ここんとこダラダラと仕事に追われ、遠出もあって切り替えができなくて精神的につかれている。
丸一日どっか行って過ごせたらいいのだが…今それをするとなあ…とも思うけど、こんなことならまりりんとどっかアウトドアへ行って一日思い切って遊ぶ方がマシかも。
まりりんも春から中学生で、あまり今までのようにほったらかしにもできないと思うし。
いや、今までのほったらかしも非常にアカンかったと思っているのですが。
もう手遅れかも知れん…ごめんな…
自分が小・中時代は別に親に言われなくても面白いと思ったら勝手に勉強する子どもだったので、子どもはみんなそうかと思っていたら大間違いであった。
さて、チンタラやってても効率は上がらず、焦ることばかりで んー しんどいべ。眼ぇ、いたいし。
来週の四国出張までに直ってくれたらええんやけど。
四国、朝は5時起きやし、2日間ずっと会議室缶詰めやからなあ…
いや、毎日毎日もっとキツイ状況で動いてはるヒトおるし、3ヶ月に1回のこれぐらいの出張で
文句ゆうてたらアカンなー。
四国いったら近くのうどん屋で美味しい讃岐うどんも食べられるし!
まりりんも好きやし、またちょっとお土産買ってこよ。そう思って楽しい出張。
火曜日から出発やから、月曜日に大事をとって眼医者に行くか…
2011年3月4日金曜日
雪のひな祭り
仕事をしていたら、窓の外にひらりひらりと紙のような雪が降りてきた。
今日はひな祭り。でもひな人形も出せてなかった。ごめんよー。
ひな人形といっても、お内裏様とお雛様の二人だけの木目込人形やねんけど…
私のは、母方のお祖父さんが買ってくれた段飾りが物置にしまってあるはずだが、今頃どうなってるか。
随分昔に箱の中で首が転がっているのを見たことがあるし…
こんな仕事をしていると、歳時などを楽しむ余裕というものがもてないのだ。
時間ですっぱり切れるような仕事を選んだほうがどれだけ楽だったんだろ。
いいや、生来のズボラだから、仕事時間内にずっと集中してないとダメなような職種は無理だ…
でもねえ。考えたり作ったりする仕事で私のように能力がないと、本当にしんどいわ。
次の人生では、余裕で歳時を楽しめるような計画を立てたいものだ。
余裕な奥様人生。いや、余裕なひとり人生、というのが最も理想的だ。
今日はひな祭り。でもひな人形も出せてなかった。ごめんよー。
ひな人形といっても、お内裏様とお雛様の二人だけの木目込人形やねんけど…
私のは、母方のお祖父さんが買ってくれた段飾りが物置にしまってあるはずだが、今頃どうなってるか。
随分昔に箱の中で首が転がっているのを見たことがあるし…
こんな仕事をしていると、歳時などを楽しむ余裕というものがもてないのだ。
時間ですっぱり切れるような仕事を選んだほうがどれだけ楽だったんだろ。
いいや、生来のズボラだから、仕事時間内にずっと集中してないとダメなような職種は無理だ…
でもねえ。考えたり作ったりする仕事で私のように能力がないと、本当にしんどいわ。
次の人生では、余裕で歳時を楽しめるような計画を立てたいものだ。
余裕な奥様人生。いや、余裕なひとり人生、というのが最も理想的だ。
2011年2月27日日曜日
30年間だけの贈り物

みつかった。
ある年齢以上の人は誰もが感じているだろうけど、大昔の記憶におぼろげながら残っている曲にまたきちんと出会うことができる驚き、喜びを。
でもこの体験は、子供の頃、すごく大きい、広いと感じていた学校の校庭に、大人になってから行ってみるような感覚かもしれない。 自分の記憶違いや、えっ、実物はこんなんだったの?という感じが明らかになるような。
これって、いいのかな、どうなのかな。
記憶の中でところどころ欠けたまんまで、そのままの方がいいってこともあるよね。
ふと思ったのだけど、この感覚って、今の若い子にはもう手に入らない感覚なんだ。
物心ついた時からネットがあれば、私たちが味わった「過去の記憶の宝物」に会えない期間はない。
断線期間がないのだ。彼らの想い出は、スペクトラム的につながっていく。
いや、「想い出」という言葉さえ、もしかしたら不要になるかもしれない。
動画を記録・保存できるようになった時期を考慮すると、この「再会」体験を享受できた世代は、
そんなに幅広くないのだ。
日本のではせいぜい1950年代ぐらいからの動画が多く残っているとすると…
その頃に10代、20代だった人は今、 70歳から80歳ぐらいまでか。これが上限。
でも、あまり上の年代は、ネット人口は少ないわなあ。やっぱり今の団塊ぐらいが上限になるかな。

となると… でも、
懐かしいと感じる想い出との時間的隔たりを考慮すると、
今の30代、おおよそ70年代生まれから60代前半ぐらいまで、だと50年代生まれかな。
1950年代、60年代、70年代。
うーん、80年代生まれは子供の頃からティーンエイジャーぐらいまでの想い出とは再会できるかもしれないけど、若かりしオトナの日々の想い出に再会できるのは、やっぱり70年代生まれまでだな。
このたった30年間に生まれた世代だけが、想い出との感動的な、そして落胆の再会ができる
特権的な世代なのだ。
そう考えると、ものすごく貴重な気がしない?
MOONRIDERS // DOG SONG ( NOUVELLES VAGUES )
2011年2月24日木曜日
そちらでよろしく
お父ちゃんも叔母ちゃんも、お母ちゃんも、よろしくね。
わたし、こないだからそこの息子さんにいろんなもの頂いて、
お世話になってるねん。
たぶん共通の知り合いはイヤっちゅうほどおるやろし…。
町内会の誰がキライとか、あそこのオッサンは偏骨やとか、
昔あのウチはあんなことあったのになあ…ほんまヤラシィで…
とか、そういう下町ネタで大いに盛り上がってください。
こっちには聞こえへんから、言いたいこと言えるよ。
あー、商売やってる店にお嫁に来て苦労した愚痴話は、
お母ちゃんしか話が合えへんね。
みんな、結構さっさとそっちに行った人ばっかりやな…
もう、苦労したから早く免罪符をもろたかな。
それともそんなにこっちがイヤやったんやろか…(笑)
まー、ここらへん、ガラは悪いけどねえ。
2011年2月21日月曜日
冬のサステイン

まりりんとトボトボ歩いてなんばまで。
バレンタインのチョコ作りの材料を買いに、新しいマンションが建ち並ぶあたりのスーパーへ。
ここは結構いろんな製菓材料や、輸入食材が置いてある。生鮮は少ないが、私のお気に入りの場所だ。
私が住む区は昔から、ホント、食に関してはダメダメなのである。
母親はいつも商売の手伝いで忙しかったが、時々その揺り返しか、
取り憑かれたように変わった料理を作ろうとした。
参考にする本が昔のハードカバーの料理本だから、家庭向けというよりほとんどプロ向け。
身の程知らずの無謀である。
しかもチャイニーズや洋風だから、当時本に書いてある材料が簡単に手に入るはずもない。
“豚の網脂”とか“白木耳”とか“オニオンペコロス”なんて、あの頃どこに売ってんのー!
ましてやウチの区は陸の孤島と呼ばれてきた地域。垢抜けたものなどひとつもなく、
私と母はいろんなところへ食材を捜しに行った。
食材だけではなく、調理器具もだ。中華蒸篭、親子鍋、はては棒温度計。ちょっと行き過ぎである。
母は元々化け学系の理系だったので、そういう目線で料理に取り組もうとしたのかもしれない。
ほっといたらシリンダとかピペットとか、台所に持ち出してたかも知れん。
輸入食材は、ミナミの千成屋にそこそこのモノはあった。
道具屋筋、梅田のデパート、黒門、鶴橋、神戸、錦市場。
買い物だけですごい労力だ。母にはなぜか燃え滾る執念があり、私はその災禍をもろに被った。
今じゃネットで何でも簡単に手に入るけど。
大体、なんでこんな料理作る意味があるん?
住んでる場所に全然似合ってへんし…とは当時からおぼろげに思っていたんやけど…
おかーちゃん、そんなもん作りたかったんやったら、嫁に来るとこ激しく間違うてるで。
…と、随分後になってわかった。
今も私の住む区の食糧事情は、大して変わっていないことに驚く。
外食もちょっと行くロクな店がないのだ。なんでかねえ。変わらんねえ。
近所のオッサンが行く婆さんのやってるスナックとか、ヤンキーの系譜を汲むご家族御用達のファミリー居酒屋風とか、お好み焼き屋のような一杯飲み屋とか、まあ、そんなんばっかしなんである。
まあそれはそれで地域の味もあるのだが…
だからあんまり外食とか、近所で飲む気がしないのである。
そんなに美味しくもないものに払う外食の対価って、高いよねえ。
自分で作れば大体1/4ぐらいで、材料もふんだんに使って美味しいものができる。

こんな楽しみも、子供の頃の食材探しウロつき回りのお陰かな、とは思う。
だから、家で好きなもんチョコチョコと作って飲む方がいいねえ。
おかげでまりりんは酒の肴でご飯が食べられる子に成長した。
2011年2月4日金曜日
2011年2月1日火曜日
2011年1月31日月曜日
検索ワード あ・ら・かると
来訪者の少なさを誇る当ブログだが、検索ワードで迷い込む災難な人もそのまた少数だがいらっしゃる。
今までの検索ワードダントツ1位は「ロッド・テンパートン」大先生だ。
今ではどこでどうしておられるかわからない大先生だが、検索している日本人がいることは喜ばしい。
次に多いのは「芽瑠璃堂」。音楽関係が続く。
この2つが目立って多く、ここへ迷い込む人の平均年齢が窺い知れる。
要するに私と同年代か、それ以上の人々だ。70年代ソウル・ファンク好きの、昔は異様に腰がほそくて、
ピッチピチに前をボタンで留める“ベルボトムのジーンズ”を履いていた軟派者のオッサンとプロファイルする。
あとはチョボチョボ。「ビルボードライブ大阪」が次ぐらいか。
検索して来た人、ロクな情報じゃなくてスマン。
面白いのでは、「Osaka downtown ワシ」なんていうのもあった。
こりゃ、フツーは組み合わさらざるべきワードやよね。知り合いかえ?
今までの検索ワードダントツ1位は「ロッド・テンパートン」大先生だ。
今ではどこでどうしておられるかわからない大先生だが、検索している日本人がいることは喜ばしい。
次に多いのは「芽瑠璃堂」。音楽関係が続く。
この2つが目立って多く、ここへ迷い込む人の平均年齢が窺い知れる。
要するに私と同年代か、それ以上の人々だ。70年代ソウル・ファンク好きの、昔は異様に腰がほそくて、
ピッチピチに前をボタンで留める“ベルボトムのジーンズ”を履いていた軟派者のオッサンとプロファイルする。
あとはチョボチョボ。「ビルボードライブ大阪」が次ぐらいか。
検索して来た人、ロクな情報じゃなくてスマン。
面白いのでは、「Osaka downtown ワシ」なんていうのもあった。
こりゃ、フツーは組み合わさらざるべきワードやよね。知り合いかえ?
2011年1月26日水曜日
-Osaka University of Arts- 母校アドベンチャー
はー、冷や汗モノの大森監督(教授だ)取材が終わり、いろいろ独特の矛先で突っ込まれながらもなんとか終え…
(同行の担当者は世代が下で監督の名さえ知らなかった!しかしいくらなんでも、情報産業におってそれはナシやで)
けれど監督はクリエイターズユニオンの田中社長が仰ってくださったとおり、芸大内で教壇を離れているときには、気さくで独特の個性をお持ちの、結構大柄な、関西のオッチャンでした。
プロフには芦屋出身とあるが、小学校までは針中野で生まれ育ったとのこと。100へぇ(古)だ。
教務課・入試課の方とも親しい間柄なのかも知れませんが、近所の知り合い同士のような会話で冗談を言い合っておられたし…
こういう教授と学校スタッフの関係はあまりみないので、ちょっとびっくり。お人柄かしらん。
映画ドシロウトの私相手によくまあ1時間半もお話くださったものだと大感謝です。
ホンマにすんませんでした。
私自身がOGなのでやはり気楽で取材もしやすい。
学校スタッフもOGというとガラっと態度をやわらかくしてくださる。
芸術系なので、そこには独特のシンパシーが存在するというわけです。
それはお互いの建前の裏側にある、どうしようもない切なさや自虐的な思いや、幸せの感じ方や、どんな感覚がこのヒトと一致するのかなという楽しみや、まあ、そういうことです。
で、次の教授取材まで時間があったので、クールダウンも兼ねてキャンバス内をウロウロ…
私が通っていた頃そのままの校舎もあるし、立派過ぎる芸術劇場や映画館が新設されていて驚き。
さすがに建築意匠は凝ってるねえ。しか しカッチョええ学舎の扉に「イノシシ注意」の掲示があるのはワロタ。教務課の人が「去年学生がマムシに噛まれて病院送りになった」と言っていた。マムシは 私の時代にもいたが、まだいるのか。よく忍者研究会が裏山で修行(?)してて、噛まれたとか騒いでいたっけ。
(同行の担当者は世代が下で監督の名さえ知らなかった!しかしいくらなんでも、情報産業におってそれはナシやで)
けれど監督はクリエイターズユニオンの田中社長が仰ってくださったとおり、芸大内で教壇を離れているときには、気さくで独特の個性をお持ちの、結構大柄な、関西のオッチャンでした。
プロフには芦屋出身とあるが、小学校までは針中野で生まれ育ったとのこと。100へぇ(古)だ。
教務課・入試課の方とも親しい間柄なのかも知れませんが、近所の知り合い同士のような会話で冗談を言い合っておられたし…
こういう教授と学校スタッフの関係はあまりみないので、ちょっとびっくり。お人柄かしらん。
映画ドシロウトの私相手によくまあ1時間半もお話くださったものだと大感謝です。
ホンマにすんませんでした。
私自身がOGなのでやはり気楽で取材もしやすい。
学校スタッフもOGというとガラっと態度をやわらかくしてくださる。
芸術系なので、そこには独特のシンパシーが存在するというわけです。
それはお互いの建前の裏側にある、どうしようもない切なさや自虐的な思いや、幸せの感じ方や、どんな感覚がこのヒトと一致するのかなという楽しみや、まあ、そういうことです。
で、次の教授取材まで時間があったので、クールダウンも兼ねてキャンバス内をウロウロ…
私が通っていた頃そのままの校舎もあるし、立派過ぎる芸術劇場や映画館が新設されていて驚き。
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目が合ったら後ずさりするのか |
さすがに建築意匠は凝ってるねえ。しか しカッチョええ学舎の扉に「イノシシ注意」の掲示があるのはワロタ。教務課の人が「去年学生がマムシに噛まれて病院送りになった」と言っていた。マムシは 私の時代にもいたが、まだいるのか。よく忍者研究会が裏山で修行(?)してて、噛まれたとか騒いでいたっけ。
2011年1月21日金曜日
母校へ取材はいいけれど
えらいこっちゃ。月曜日に大阪芸大映像学科へ、大森一樹監督(教授)の取材が入った。イキナリすぎるやろ。
自慢にならんが、ほとんど作品バシッと見たことないぞ!
これは大変失礼なので、急ごしらえは仕方がないがこの土日はDVD借りてきてひとり大鑑賞会だ。医大卒であられるので、『ヒポクラテスたち』は確かそんなような映画だったような…って、この程度の体たらくなのである。
30年ほど前の映画やから、今の医学部の状況とは全く違うんやろなー。
ヒポクラテスって4色の体液のバランスで人間は病気になるって唱えた病理学の祖なんやよなー。って、こんなことも医学部取材で最近知った体たらく…インテリ源ちゃんには程遠いのだ。
とにかく緊急事態だ。本日はデカイTSUTAYAへ直行。
世間への露出量が莫大な人物に関しては、イキナリの取材は非常に困るし、何より世の中にポピュラーに情報や作品が流通してるんやから、それを充分取り込んでからお会いしないとイカンわな。
日々突発的な出来事に振り回されるわが身。若い頃怠けたんやから、血を吐いて苦労して勉強せいってことやわな。 いやそこまでなかなかしてないけど。
自慢にならんが、ほとんど作品バシッと見たことないぞ!
これは大変失礼なので、急ごしらえは仕方がないがこの土日はDVD借りてきてひとり大鑑賞会だ。医大卒であられるので、『ヒポクラテスたち』は確かそんなような映画だったような…って、この程度の体たらくなのである。
30年ほど前の映画やから、今の医学部の状況とは全く違うんやろなー。
ヒポクラテスって4色の体液のバランスで人間は病気になるって唱えた病理学の祖なんやよなー。って、こんなことも医学部取材で最近知った体たらく…インテリ源ちゃんには程遠いのだ。
とにかく緊急事態だ。本日はデカイTSUTAYAへ直行。
世間への露出量が莫大な人物に関しては、イキナリの取材は非常に困るし、何より世の中にポピュラーに情報や作品が流通してるんやから、それを充分取り込んでからお会いしないとイカンわな。
日々突発的な出来事に振り回されるわが身。若い頃怠けたんやから、血を吐いて苦労して勉強せいってことやわな。 いやそこまでなかなかしてないけど。
2011年1月20日木曜日
遠くのナニより近くの友
正月しょっぱなから昨日にかけて、肉(焼肉用カルビ)、肉(すきやき用霜降りロース)、りんご(大玉)、冷凍カニ、と立て続けに近所に住む高校の後輩、楽器修理のHトリ君から頂いているのである。とても有り難い。
滅多に食べないご馳走ばかりで、今月は少し体重が増えてしまった。 Hトリ君のせいである。
彼のお家は市場の中の用品屋さん。ご両親が営んでおられる。
ステキな大正マダムがターゲットのダウンタウン・ブティックである。
彼はお店の裏側を工房にして、何でもかんでも器用に直している。ギターから太鼓からバラライカからシタールからジャンベから、およそ名前もワカランような民族楽器まで何でも修理する。
太鼓政もびっくり。 中東の打楽器か弦楽器かワカランのなんて、どっからパーツ調達してくんねん。
バンド仲間のI本先輩のグレコの修理の出来にはビビッた。ぴかぴかのつるつるのマホガニー(?)のネックになって、フレットには綺麗な白蝶貝のポジションマークがカッチョよく貼られている。
葉加瀬太郎をカジュアルでワイルドにしたような(褒めている)Hトリ君の風体からは、
想像も出来ない繊細な仕事だ。
ゴト師や。あっ違った、仕事師や。
彼の周辺に年末から起こった難儀な出来事が、たまたま最近私が大学取材に行ったテーマとどうもぴったり重なりそうなことがわかり、いろいろとやりとりしている。早い話が認知症のハナシだ。
医科大でレビー小体型認知症の話を聞いてきたのだが、どうも、それっぽいのである。わからんけど。
しかしハナから見当違いの科に行かされたようで、医者が診断つけられなくて投薬で悪化してドツボにはまっている状態のようだ。もしもレビーやったら抗うつ薬はタブーだ。
そんな状態が続いたら、何より家族が大変だ。幸いにも彼はしっかり炊事もできるし、こういうことに逃げ出さないタイプの男だが…それはそれで彼の負担が大きくなる。
で、いろいろさらに調べて、どこへ連れて行ったらいいかとかやりとりしており、そんな中での美味しいモノ贈収賄キャンペーンなのである。
商売やってると食べ物は近所やお客さんからよく頂く。それが一時に集中したり、累積したりすると自家消費しきれないのは私もよく知っている。で、くださるのだが、それでもなんだか悪いので、名大へ行った帰りに風来坊の手羽先をお土産に買ってきた。
彼も私もアウトサイダー気質な部分があって、そこでなんとなく気が合うのかもしれない。
ブランドや名前をありがたがる人種が好きになれないのである。
まっちょっと彼が落ち着いたら近所の立ち飲みにでも一緒に行くべ。
その後はPOWWOWで彼が直した馬頭琴でも弾いてもらうぜ。あの店には、ながく行っていない。
滅多に食べないご馳走ばかりで、今月は少し体重が増えてしまった。 Hトリ君のせいである。
彼のお家は市場の中の用品屋さん。ご両親が営んでおられる。
ステキな大正マダムがターゲットのダウンタウン・ブティックである。
彼はお店の裏側を工房にして、何でもかんでも器用に直している。ギターから太鼓からバラライカからシタールからジャンベから、およそ名前もワカランような民族楽器まで何でも修理する。
太鼓政もびっくり。 中東の打楽器か弦楽器かワカランのなんて、どっからパーツ調達してくんねん。
バンド仲間のI本先輩のグレコの修理の出来にはビビッた。ぴかぴかのつるつるのマホガニー(?)のネックになって、フレットには綺麗な白蝶貝のポジションマークがカッチョよく貼られている。
葉加瀬太郎をカジュアルでワイルドにしたような(褒めている)Hトリ君の風体からは、
想像も出来ない繊細な仕事だ。
ゴト師や。あっ違った、仕事師や。
彼の周辺に年末から起こった難儀な出来事が、たまたま最近私が大学取材に行ったテーマとどうもぴったり重なりそうなことがわかり、いろいろとやりとりしている。早い話が認知症のハナシだ。
医科大でレビー小体型認知症の話を聞いてきたのだが、どうも、それっぽいのである。わからんけど。
しかしハナから見当違いの科に行かされたようで、医者が診断つけられなくて投薬で悪化してドツボにはまっている状態のようだ。もしもレビーやったら抗うつ薬はタブーだ。
そんな状態が続いたら、何より家族が大変だ。幸いにも彼はしっかり炊事もできるし、こういうことに逃げ出さないタイプの男だが…それはそれで彼の負担が大きくなる。
で、いろいろさらに調べて、どこへ連れて行ったらいいかとかやりとりしており、そんな中での美味しいモノ贈収賄キャンペーンなのである。
商売やってると食べ物は近所やお客さんからよく頂く。それが一時に集中したり、累積したりすると自家消費しきれないのは私もよく知っている。で、くださるのだが、それでもなんだか悪いので、名大へ行った帰りに風来坊の手羽先をお土産に買ってきた。
彼も私もアウトサイダー気質な部分があって、そこでなんとなく気が合うのかもしれない。
ブランドや名前をありがたがる人種が好きになれないのである。
まっちょっと彼が落ち着いたら近所の立ち飲みにでも一緒に行くべ。
その後はPOWWOWで彼が直した馬頭琴でも弾いてもらうぜ。あの店には、ながく行っていない。
2011年1月9日日曜日
Drums Workshop for Kids
まりりんに年末スタジオでドラムをさわらせ、簡単な8ビートを教えてもらって叩かせた。
リズム感はともかく、身体能力は結構あるほうなので、メロディアスな楽器よりパーカッションが向いているのかもしれない。スジはそんなに悪くはないんではない?と思っていたら、
ちょっとやってみたい、と抜かしおるので、プレゼントしてもらったスティックで、これもプレゼントのクリスマス編集DVDの中の“Last Christmas”が一番初めにはビートもテンポもよかろう、と思い、家でバースツールを2つ並べて練習させていた。
そんなことをしていると、ひょんなことから “no name”のドラマー、近田 和久氏とアゼリア大正でお会いし、2月に子供のためのドラムワークショップを開催することになった。
なんかよくわからんが、そういう話になった。
初めは氏がアゼリアでされているドラムレッスンの体験、という話でスタートしたのだが、なぜか話がいろいろ膨らんだという訳。ドラム2~3セットと、他のいろんなパーカッション、ギターもベースもエレピでも民族楽器でもなんでもアリね、ということだけど、スタジオの広さには限りがあるからやや小ぢんまりと仲間うちで、ってことね。
![]() |
やっぱり“Rock with You”の デビッド・ウィリアムスのイントロドラムだ! |
氏はまだ30代前半でお若いけれど、ドラムの裾野を広げたい想いがあるのだろう。
なんといってもフルセットのドラムスに触れる機会は、普通あんまりあるものではない。
まりりんの学校は最近フルセットを購入したらしいが、学校中の先生も生徒も誰一人叩ける人間がいない。もったいない話だ。まりりんが叩けるようになったら一人で毎日使え、と言ってある。もう卒業だが。
まりりんの同級生にビートルズ大好きな男の子がいて、エレキギターもちょっとさわるらしいが、
その子を誘ってやりたいけど、まりりんが言うにはお母さんがめっちゃキビシイらしくて
外にも出してくれないとか…
ふむ。誰を誘おうかな。こういうモンは親もノッてこれるタイプでないとアカンからなあ。
泉南に引っ越しちゃったまりりんの親友、心ちゃんのオカン(昔DJやってて故・加賀テツヤなんかと懇意だった)に声かけてみるべかな。彼女やったらガチだんべ。
でも、ちょっと彼女親子は遠すぎるなあ。
C.P.さん、お嬢さんと一緒に参加されませんか???
今のところ、近田氏の海外ライブの合間を縫って2月前半の週末を予定。
詳しい日時は参加希望者の都合をFixしてこれから詰める事になってます。昼間2hぐらい。
もしお知り合いの子供さんで参加したい方がいらっしゃれば、親子1組ぐらいはOKです。
あーでも、このシーズン、お仕事がえらいこっちゃの時期ですか…
no name のマイスペ ▽ http://www.myspace.com/noname.1000eyesrecords
2011年1月1日土曜日
2011年はジャンジャン横丁から
謹賀新年。知らん間に去年1年経ち、年が明けてしまいましたが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
今日は新今宮から新世界を通って一心寺、四天王寺のコースへ。
一心寺には母の骨仏があるので。四天王寺は出店目当てのまりりんのためのオマケ。
出るときはお天気がよかったのだが、どんどん曇って寒くなってきた。
しかし元旦からジャンジャン横丁とは…ま、ワタシらしいか。すごい人だったけど。
昔、お祖父さんが小さいワタシを連れて、よくここらへんに賭け将棋をしに来た。

お祖父さんが賭け将棋に興じている間は、ワタシは小銭をもらって、スマートボールをしに小走りで行く。
ちょっと遊んで勝ったら(お祖父さんがね)、帰りにグリル梵で“ビフカツ”で一杯。ワタシには、確かオムライスを頼んでくれていたと思う。ワタシは小学校3年で腎臓を患って長く入院するまで、とてもとても好き嫌いが激しくて食の
細い子で、会うたびごとに人に「なんて細い、色の青白い子やねえ」と言われていた。確かに、手と足は骨のようで、血管が薄い皮膚の下に透けて見えるような子供だった。
だからオムライスを到底ひとりでは食べ切れなかったと思うけど、老舗の洋食屋のそれはとても上等な味で、賭け将棋についてくるのが愉しみだった。

お祖父さんはビフカツをアテに美味しそうにくいくいとビールを飲んでいて、昔の洋食屋の店内が、気泡が現れては消える琥珀色のグラスの中に透けて見えて、小さいワタシには不思議で楽しい光景だった。
天王寺や新世界は、ワタシにとってはお祖父さんとよく一緒に来た
“素敵な繁華街”だ。
環状線の駅にはいっぱい鳩がいて、フェドーラ帽をかぶって着物の上からコートを羽織ったお祖父さんに手を引かれて、三ヶ日の阿倍野界隈へ繰り出す。寄席をのぞいて、デパートの食堂でアイスクリームをたべて。
そんな天王寺も、今また、大きく姿を変えようとしている。
近鉄がこの前建て代わったのって、そんなに昔じゃなかったでしょ?
その前の近鉄のマークがぼんやりと懐かしい。
なんだかあっという間に、ワタシの周りで15年ぐらいが経ってしまった。
※追記
調べたところ、今までの建物は建て替えられたのではなく、戦前からある旧館だったんですね。
1988年増床リニューアル。そんな昔か!(絶句)
今日は新今宮から新世界を通って一心寺、四天王寺のコースへ。
一心寺には母の骨仏があるので。四天王寺は出店目当てのまりりんのためのオマケ。
出るときはお天気がよかったのだが、どんどん曇って寒くなってきた。
しかし元旦からジャンジャン横丁とは…ま、ワタシらしいか。すごい人だったけど。
昔、お祖父さんが小さいワタシを連れて、よくここらへんに賭け将棋をしに来た。



細い子で、会うたびごとに人に「なんて細い、色の青白い子やねえ」と言われていた。確かに、手と足は骨のようで、血管が薄い皮膚の下に透けて見えるような子供だった。
だからオムライスを到底ひとりでは食べ切れなかったと思うけど、老舗の洋食屋のそれはとても上等な味で、賭け将棋についてくるのが愉しみだった。

お祖父さんはビフカツをアテに美味しそうにくいくいとビールを飲んでいて、昔の洋食屋の店内が、気泡が現れては消える琥珀色のグラスの中に透けて見えて、小さいワタシには不思議で楽しい光景だった。
天王寺や新世界は、ワタシにとってはお祖父さんとよく一緒に来た
“素敵な繁華街”だ。
環状線の駅にはいっぱい鳩がいて、フェドーラ帽をかぶって着物の上からコートを羽織ったお祖父さんに手を引かれて、三ヶ日の阿倍野界隈へ繰り出す。寄席をのぞいて、デパートの食堂でアイスクリームをたべて。
そんな天王寺も、今また、大きく姿を変えようとしている。
近鉄がこの前建て代わったのって、そんなに昔じゃなかったでしょ?
その前の近鉄のマークがぼんやりと懐かしい。
なんだかあっという間に、ワタシの周りで15年ぐらいが経ってしまった。
※追記
調べたところ、今までの建物は建て替えられたのではなく、戦前からある旧館だったんですね。
1988年増床リニューアル。そんな昔か!(絶句)
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